日本大百科全書(ニッポニカ) 「赤道ギニア」の意味・わかりやすい解説
赤道ギニア
せきどうぎにあ
Guinea Ecuatorial
アフリカ中西部、ギニア湾上に浮かぶビオコ島(旧フェルナンド・ポー島)など数島と、カメルーンとガボンに挟まれた大陸部ムビニ(旧リオムニ)からなる国。正称は赤道ギニア共和国Repūblica Guinea de Ecuatorial。面積2万8051平方キロメートル、人口46万(2000推計)。首都はビオコ島のマラボ。
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自然
ビオコ島は面積2017平方キロメートル、北東約50キロメートルにあるアフリカ大陸のカメルーン山に連なる火山島であり、北部には最高峰マラボ(旧サンタ・イサベル)火山(3008メートル)がそびえる。この地形的特色から、島の自然には高度による差異がみられ、標高700メートルまでは年平均気温25℃、年降水量1300から2000ミリメートルという高温湿潤地帯があり、この地帯は火山灰土壌と相まって、コーヒー、カカオの栽培地帯となっている。高度700から1500メートルの地帯では、年降水量が2500から4000ミリメートルに達し、熱帯多雨林地帯となっている。さらに1500から2200メートルの地帯では多雨林はやや後退し、その上部の森林限界へつながる。大陸部のムビニは一般に低平で、気候は年じゅう高温多雨、海岸より内陸まで厚い熱帯雨林に覆われている。雨期は8か月以上にわたり、海岸部での年降水量は4000ミリメートルに達する。
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歴史・政治
フェルナンド・ポー島は1472年ポルトガル人フェルナンド・ポーによって発見され、またリオムニも15世紀後半にポルトガル人によって発見され、ともにポルトガル領となった。1778年、ポルトガルは今日のブラジルの領有権と引き替えに、フェルナンド・ポー島とアンノボン島(現パガル島)およびリオムニをスペインに割譲した。のち一時期フェルナンド・ポー島はイギリスに占領された(1827~47)が、その後はスペインの支配が続いた。スペインがこれらの地域の本格的な開発に乗り出したのは、1904年に3地域(フェルナンド・ポー島、アンノボン島、リオムニ)を統合してスペイン領西アフリカとして以後のことである。とくに気象条件の悪いリオムニの開発は、第二次世界大戦後にようやく始められた。59年にはスペイン領赤道ギニアとして海外州となり、63年には自治権拡大に伴って赤道ギニアとなった。
1968年10月、リオムニとフェルナンド・ポーとの2州からなる連邦国家として正式に独立し、初代大統領にはマシアス・ヌゲマが就任した。同大統領は72年自ら終身大統領になるなど独裁的権力を強め、反対派を徹底的に弾圧し、通貨や地名を全面的に改称した。こうした同大統領下での恐怖政治は経済をも破綻(はたん)させ、78年だけでも10万人が国外へ亡命するなど、大混乱に陥った。こうした事情から、78年8月、大統領の甥(おい)にあたるオビアン・ヌゲマ・ムバソゴ中佐がクーデターに成功し、マシアス・ヌゲマは処刑され、ムバソゴが大統領に就任した。82年8月、国民投票によって新憲法が成立し、83年8月、独立以来初の国民議会選挙を実施した。ムバソゴは89年6月初の大統領選挙で当選したが、この間何度もクーデター未遂事件が起こるなど、政権の不安定さは消えていない。1996年の大統領選挙でもムバソゴは再選された。
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産業
この国の産業の中心は材木とカカオおよびコーヒーのプランテーション農業で、同国の輸出額の90%はこれらの品目で占められている。独立前のカカオの生産高は世界で8~9位を占めるほどであったが、独立後とくにマシアス・ヌゲマ大統領の独裁時代には、スペイン人の引き揚げや亡命、そして多数のナイジェリア人労働者の帰国などによって、多くのカカオ農園が閉鎖を余儀なくされ、その生産量は急激に低下し、同国の経済も破綻をきたすことになった。ムビニでは木材、やし油などが中心である。歴史的にビオコ島が政治、経済の中心であったため、面積的(全土の93%)にも人口的(全人口の81%)にも優位にあるムビニの遅れが国家的課題となっている。
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社会・文化
住民は、ビオコ島ではブビ人、ムビニではファン人が中心であるが、歴史を反映してビオコ島ではポルトガル人やスペイン人との混血、各地からの奴隷やキューバからの流刑者の子孫なども多く、一般的には彼らが政治、経済を支配してきた。
公用語はスペイン語で、住民の80%はカトリック教徒とされているが、大陸のムビニでは伝統的宗教も一般的である。とくにムビニのファン人はガボンの主要グループでもあり、大陸本土の民族性を強くもつのに対して、ビオコ島のブビ人にはそうした伝統文化の独自性は弱まっている。交通の発達も十分ではなく、首都マラボとムビニのバータは船で結ばれている。航空路も不定期である。
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