日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハイメ」の意味・わかりやすい解説
ハイメ(1世)
はいめ
Jaime Ⅰ
(1208―1276)
中世イベリア半島東部のアラゴン連合王国の王(在位1213~76)。「征服王」と通称される。アルビジョア十字軍初期のミュレーの戦い(1213)で戦死した父ペドロ2世を継いで5歳で即位、10歳で親政を始めた。同時代のフランス王ルイ9世と同じく十字軍思想に傾倒する典型的な中世騎士に成長し、父が目ざしたカタルーニャ、ラングドック、プロバンスの統合と支配にかわって、イスラム支配下のアル・アンダルスへの侵攻を自らの政策として打ち出した。おりからアル・アンダルスのムワッヒド朝は、内紛による衰退が著しかった。ハイメ1世はまずカタルーニャ海運の障害となっていたイスラム支配下のマジョルカ島を攻めてこれを制圧(1229)、ついで半島部のバレンシアの征服(1238)によって自国内のレコンキスタ(国土回復戦争)を終わらせた。この後、コルベイユ条約(1258)を結んで、南フランスおよびカタルーニャの領有をめぐるフランス王との長年にわたる対立に終止符を打ち、やがて1280年代に始まるカタルーニャの地中海進出のための道を整えた。
[小林一宏]