弓削皇子(読み)ユゲノミコ

デジタル大辞泉 「弓削皇子」の意味・読み・例文・類語

ゆげ‐の‐みこ【弓削皇子】

[?~699]万葉歌人天武天皇の第6皇子。万葉集に8首が収められている。

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精選版 日本国語大辞典 「弓削皇子」の意味・読み・例文・類語

ゆげ‐の‐みこ【弓削皇子】

  1. 飛鳥時代(奈良前期)の歌人。天武天皇の第六皇子。「万葉集」に作歌八首が収録されている。生没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「弓削皇子」の意味・わかりやすい解説

弓削皇子 (ゆげのみこ)
生没年:?-699(文武3)

天武天皇の第6子で,母は天智天皇の女大江皇女。693年(持統7)浄広弐を授けられ,697年(持統11)8月以前に,高市皇子死後,次の皇太子をきめる会議席上軽皇子(のちの文武天皇)でなく同母兄長皇子を推すような発言をしようとしたらしく,葛野王に退けられた。699年7月に没したが,その間《万葉集》に8首の歌をのこした。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「弓削皇子」の解説

弓削皇子 ゆげのおうじ

?-699 飛鳥(あすか)時代,天武天皇の第6皇子。
母は大江皇女。持統天皇7年(693)浄広弐(じょうこうに)をさずけられた。持統天皇の皇太子をきめる会議で,軽皇子(文武天皇)をたてることに異議をとなえようとし,葛野(かどのの)王に制止されたという。「万葉集」に短歌8首がある。文武天皇3年7月21日死去。
格言など】大船の泊(は)つる泊りのたゆたひに物思(も)ひ痩(や)せぬ人の児ゆゑに(「万葉集」)

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朝日日本歴史人物事典 「弓削皇子」の解説

弓削皇子

没年:文武3.7.21(699.8.21)
生年:生年不詳
7世紀後半の皇族。天武天皇と天智天皇の娘大江皇女の子。第6皇子。同母弟に長皇子。『懐風藻』所収の葛野王伝によれば,天武天皇の第1皇子高市皇子の死(696)後,弓削皇子は皇太子を選ぶ群臣会議で兄弟による皇位継承を主張したが,兄弟による継承は乱の原因になると主張し,草壁皇子(母がのちの持統天皇)の子軽皇子による継承を支持する葛野王らに敗れた。軽皇子はのちの文武天皇。

(増渕徹)

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