日本大百科全書(ニッポニカ) 「母里藩」の意味・わかりやすい解説
母里藩
もりはん
出雲(いずも)国能義(のぎ)郡母里(島根県安来(やすぎ)市伯太(はくた)町)に松江藩の支藩として置かれた家門(かもん)小藩。1666年(寛文6)松江藩初代藩主松平直政(なおまさ)の死後、三男隆政(たかまさ)が長兄綱隆(つなたか)より新田1万石を分与されて成立した。初めは神戸(かんべ/かんど)(場所未詳)の地を与えられたので神戸藩の名もあるが、のち藩館の置かれた母里をとって母里藩という。1673年いったん改易されたが1か月後、弟直丘(なおたか)が相続を許され復活、当初は松江藩からの蔵米支給であったが、84年(貞享1)能義郡のうち18か村の封地が定められた。歴代藩主は江戸に常住する定府(じょうふ)大名で、国元では国家老が藩政を担当した。1871年(明治4)廃藩、藩領は母里県となり、のち島根県に編入。
[松尾 寿]