田中好子(読み)たなかよしこ

知恵蔵 「田中好子」の解説

田中好子

1956年4月8日生まれ、東京都足立区出身の女優。親交のあった女優、夏目雅子実兄である実業家の小達一雄と結婚しており、本名は小達好子旧姓の田中を芸名として使用していた。いつもユーモアを忘れずにこにこと優しく微笑む姿は多くのファンを生み、その温かい心配りから共演者を始めとする周囲の人々にも愛された。
69年に東京音楽学院に入学。スクールメイツのメンバーを経て、72年にNHK「歌謡グランドショー」のマスコットガールとして伊藤蘭、藤村美樹とともに「キャンディーズ」と命名され活動開始。翌年9月「あなたに夢中」でレコードデビュー。好子の「好」が「す(き)」と読む字であることから「スーちゃん」という愛称で親しまれた。その後、オリコンチャートベスト10入りをした「年下男の子」を始め、多くのヒット曲を飛ばす一方で、「8時だョ!全員集合」などのバラエティー番組ではコメディアンらとともにコントにも多々出演し、アイドルとして一世を風靡(ふうび)していた。しかし、78年、「普通の女の子に戻りたい」の名文句とともにキャンディーズは解散し、芸能界を一時引退した。
80年、芸能界に復帰。数々のテレビドラマや映画に出演し、徐々に女優としての頭角を現していく。89年には井伏鱒二小説原作原爆症を描いた映画「黒い雨」に主演し、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞等数々の賞に輝き、演技派女優として高い評価を受けた。
91年に結婚し、その翌年に乳がんが見つかったが、親族以外には公表せずに治療を受けながら女優業を続けた。またその傍らで、厚生労働省公衆衛生審議会委員やエイズ予防財団日本エイズストップ基金運営委員、国立国際医療センター顧問なども務めた。
2011年、がんが他臓器にも転移し、4月21日に逝去。享年55歳。元キャンディーズの仲間2人にも闘病の事実が明かされたのは3年前のことだったという。2000人以上が参列した葬儀後には、本人の肉声での録音テープが流された。1カ月余り前に起こった東日本大震災に触れた「天国で、被災された方のお役に立ちたい」という言葉に、さらに涙した人も多い。

(菘(すずな)あつこ  フリーランス・ライター / 2011年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中好子」の解説

田中好子 たなか-よしこ

1956-2011 昭和後期-平成時代の歌手,女優。
昭和31年4月8日生まれ。昭和47年伊藤蘭,藤村美樹と3人組アイドルグループ「キャンディーズ」を結成,「年下の男の子」「春一番」などがヒット。53年「普通の女の子に戻りたい」のセリフを残して解散,引退する。55年復帰後は,平成元年公開の今村昌平監督「黒い雨」で毎日映画コンクール女優主演賞,ブルーリボン賞主演女優賞,日本アカデミー賞最優秀主演女優賞などを,ドラマ「秋の駅」では平成5年放送文化基金演技賞を受賞するなど,演技派女優として活躍。平成23年4月21日死去。55歳。東京都出身。出演作品はほかにドラマ「ちゅらさん」「華岡青洲の妻」「てのひらのメモ」,映画「土佐の一本釣り」「明日への遺言」,舞台「佐渡島他吉の生涯」など。本名は小達好子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「田中好子」の意味・わかりやすい解説

田中好子【たなかよしこ】

歌手・女優。東京都生れ。本名小達(おだて)好子で,田中は旧姓。夫は夏目雅子の実兄である小達一雄。東京成徳短期大学を卒業し,渡辺プロダクション会長が設立した東京音楽学院で学ぶ。1972年に女性3人の歌手グループ・キャンディーズの結成に伊藤蘭・藤本美樹とともに参加,1973年に《あなたに夢中》で歌手デビューし,〈スーちゃん〉の愛称で親しまれた。キャンディーズのヒット曲として《年下の男の子》《春一番》《やさしい悪魔》《微笑(ほほえみ)がえし》などがあるが,1978年に解散。1980年に女優として復帰し,井伏鱒二原作の映画《黒い雨》で主役を演じるなど,映画・テレビで幅広い活躍をした。その一方,エイズ予防財団・日本エイズストップ基金の協力委員・運営委員,国立国際医療センター顧問などを務めた。

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