出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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織田秀信 (おだひでのぶ)
生没年:1580-1605(天正8-慶長10)
安土桃山時代の武将。信忠の長子。幼名三法師。本能寺の変後,清須会議で羽柴(豊臣)秀吉に擁されて織田家の継嗣に決まり安土城に入る。その後岐阜に移り,秀吉から一字を与えられ秀信と名のる。1592年(文禄1)従四位下侍従,96年従三位権中納言。関ヶ原の戦では石田三成にくみし岐阜に籠城したが陥落。自殺しようとしたが,寄せ手の将福島正則にとどめられて下り,剃髪後高野山に幽居し,病死した。
執筆者:久留島 典子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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織田秀信 おだ-ひでのぶ
1580-1605 織豊時代の武将。
天正(てんしょう)8年生まれ。織田信忠の長男。織田信長の孫。本能寺の変後の清洲(きよす)会議で羽柴(豊臣)秀吉に支持され,3歳で織田家を相続。天正20年美濃(みの)岐阜城主(13万3000石)。関ケ原の戦いでは西軍に属して敗れる。出家して高野山にはいり,慶長10年5月8日死去。26歳。美濃出身。幼名は三法師(さんぼうし)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の織田秀信の言及
【前田玄以】より
…美濃の出身で比叡山で得度したという。織田信忠に仕え7000石を与えられていたが,1582年(天正10)の本能寺の変に際し三法師(織田秀信)の後事を託されて岐阜に逃れ,三法師を擁して清須に赴いた。そして織田信雄のもとで京都の奉行となったが,豊臣秀吉が政権を掌握してのちもそのまま京都の庶政を担当し,故実に通暁する才能を深く信頼された。…
※「織田秀信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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