日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ゴールディン(Nan Goldin)
ごーるでぃん
Nan Goldin
(1953― )
アメリカの写真家。ワシントンDC生まれ。11歳のとき仲のよかった18歳の姉が自殺。その後父親の転職にともないボストン郊外へ移住したころから両親との折り合いが悪くなり、既成の教育システムにも嫌悪を抱くようになった。14歳のとき、両親のもとを離れて別の家庭の世話になることを決意し、オルタナティブ・スクールとよばれる自由で進歩的な学校に転校。思春期におけるこうした体験は、その後の彼女の精神形成に大きく作用し、仲間たちとの共同生活を「拡大家族」とよび、その存在を偽りなくありのままに記憶しておくためにこそ写真に記録するという独特の表現スタイルをつくりあげた。
1972年ドラッグ・クイーン(女装を好む同性愛者)たちとの共同生活を撮りはじめたころから、本格的に写真に取り組む。ニュー・イングランド写真学校や、ボストン美術館大学で写真を学び、1978年ニューヨークに移住。ボストン時代からの友人や新しい友人も含めて共同生活を始めたゴールディンは、異性、同性の恋人、同性愛者の友人たちとの間で繰り広げられる性、ドラッグ体験など「拡大家族」における日常の一部始終を撮りつづけ、やがてスライド・ショーという形で作品を発表(1981)。発表のたびごとに800枚にもおよぶ写真を編集しなおし、音楽とともにあたかも映画のように見せていくこの作品は「性的依存のバラード」と題され、1986年に同名の写真集として刊行された。同作は喧騒と危険に満ちた刺激的なイメージがあふれているためスキャンダラスに受けとめられる場合もあった。しかし男性と女性といった性別あるいは家族という既成の枠組みを越えた新しいライフスタイルを写しだした映像によって、現代社会で揺れ動いている「性」や「家族」のあり方を浮き彫りにしたドキュメンタリーとして高く評価され、注目されるようになった。
写真集を刊行後、ゴールディンはドラッグの後遺症で、ほぼ1年の療養生活を送っている。復帰後の作品は「家族」の一員である友人がエイズによってつぎつぎに命を落としていく姿を記録した1990年前後からの一連の写真に明らかなように、以前の喧騒に満ちた写真とはうって変わって静けさを増した。また1993年に刊行された写真集『ジ・アザー・サイド 1972―1992』The Other Side; 1972-1992は、ボストン、ニューヨーク、パリ、バンコクなどのドラッグ・クイーンたちの写真をまとめたもので、奇異なものとして彼らをとらえるのではなく、新しい「性」=「生」を生きようとする自らの分身として彼らをとらえるゴールディンの視線が一貫して感じられるものとなっている。
1996年にはニューヨークのホイットニー美術館で「私はあなたの鏡」展、2001年にはパリのポンピドー・センターで「鬼火」と題された回顧展が開催され、そのプライベート・ドキュメンタリーの魅力が再確認されるとともに、ゴールディンの生そのものが大きな共感をよんだ。
[河野通孝]
『植田可子訳『The Other Side――ナン・ゴールディン写真集』(1993・河出書房新社)』▽『『Couples And Lonliness』(1998・光琳社出版)』▽『The Ballad of Sexual Dependency (1986, Aperture, New York)』▽『ナン・ゴールディン、荒木経惟撮影『Tokyo Love――Spring Fever 1994』(1994・太田出版)』▽『Nan Goldin, David ArmstrongA Double Life (1994, Scalo, New York)』▽『I'll be Your Mirror (catalog, 1996, Scalo, ZÜrich)』