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バンコク Bangkok

翻訳|Bangkok

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バンコク
Bangkok

タイの首都。バンコクはおもに外国人の使う俗称で,現地では非常に長い正式名称の初めの部分をとってクルンテープが使われる。チャオプラヤー川の河口から 35km上流に位置し,東岸のクルンテープ地区と西岸のトンブリー地区からなる。タイ人口の 1割が集中する大都市である。熱帯季節風気候で,5~10月が雨季。アユタヤ朝のもとでは防衛拠点にすぎなかったが,1767年アユタヤがビルマ軍に占領されると,首都はトンブリーに移された。1782年にはクルンテープがチャクリー朝の首都に定められ,国の政治,文化の中心地となった。またチャオプラヤー川を軸とする水運のかなめとして,中央平野の米,北タイの木材の集散,加工などが盛んになり,商工業の中心地ともなった。1972年トンブリーを合併。鉄道,道路が全国に通じ,またタイ最大の貿易港を擁しており,金融機関や商店が集中している。国際空路が集中し,国際連合の諸機関も設置されている。多数の精米工場,製材工場があるほか,日本資本などとの合弁による大規模な近代的工場も建設された。国会議事堂や各省庁,国王の住むジットラダー宮殿などがあり,チュラーロンコーン大学,タマサート大学,カセサート大学(農科),マヒドン大学(医科)などの国立大学が集まる。観光地としても有名で,ワット・アルン(暁の寺),ワット・プラ・ケオ(エメラルド寺),ワット・ポー(涅槃寺)など著名な寺が多い。市内の交通は,かつては運河が利用されたが,ほとんどの運河が埋め立てられ道路に姿を変えた。1960年代以降の急速な人口増加によって,住宅,交通,チャオプラヤー川の汚染,スラム街の出現など都市問題が激化した。人口 690万2000(2009)。

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デジタル大辞泉の解説

バンコク(Bangkok)

タイ王国の首都。同国中南部、チャオプラヤー川メナム川)に臨む河港都市。旧市街には王宮のほか、ワットプラケオワットポーなど多くのワット(寺院)がある。人口、都市圏685万(2008)。クルンテープ。バンコック。
[補説]タイ語での正式名称は、「クルンテープ‐プラマーナコーン‐アモーンラッタナコーシン‐マヒンタラーユッタヤー‐マハーディロックポップ‐ノッパラット‐ラーチャタニーブリーロム‐ウドムラーチャニウェートマハーサターン‐アモーンピマーン‐アワターンサティット‐サッカタッティヤウィサヌカムプラシット」。

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百科事典マイペディアの解説

バンコク

タイの首都。タイ語ではクルンテプKrung Thepで,〈天使の都〉の意。同国中部,チャオプラヤー川河口から約30km上流にあり,同川をはさんで24区にまたがるバンコク首都圏を形成する。
→関連項目タイトンブリーモーラム

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世界大百科事典 第2版の解説

バンコク【Bangkok】

タイの首都。タイ人はクルンテープKrung Thepと呼び,〈天使の都〉を意味する。対岸のトンブリーなどを含む24区で構成されるバンコク首都圏の人口は885万(1994)。1960年には約214万で,34年間に4倍以上に増加した。タイ最大の河川メナム(チャオプラヤー)川の東岸,タイ湾に面する河口から約30km上流に位置し,穀倉地帯であるチャオプラヤー・デルタの下流部の中心を占めている。 1782年,対岸のトンブリーに王都を置いたタークシン王が処刑された後,チャオプラヤー・チャクリ(ラーマ1世王)が王位につき,ラタナコーシン朝(バンコク朝)の新王都として建設された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バンコク
ばんこく
Bangkok

タイの首都。外国人にはバンコクとよばれてきたが、タイ人はクルンテープKrungthep(天使の都の意)という。タイ中南部、チャオプラヤー・デルタ下流部の、チャオプラヤー川が西に蛇行して弧を描く地点の左岸に位置し、対岸のトンブリーと一体となってバンコク・メトロポリスを構成する。人口635万5144(2000)。典型的な熱帯モンスーン気候に属し、年平均気温は28℃、年較差は4.8℃にすぎず、年間を通して高温である。年降水量は1492ミリメートルで、降雨は5~10月に集中する。タイの政治、経済、文化など、あらゆる活動の中心であるとともに、国際空路が集中し、国際連合諸機関が設置されるなど東南アジアの重要な中心にもなっている。
 市街は新旧の2区域に大別される。旧市街はチャオプラヤー川東岸の王宮を中心として、同川の上流と下流を円弧状に結ぶ、ロート、バン・ランプー、パドン・クルン・カセムの3運河で囲まれる。旧市街には王宮のほかに、ワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)、ワット・ポー(涅槃(ねはん)寺)などの大寺院、官庁街、チャイナタウンなどがある。パドン・クルン・カセム運河の外側(東側)は新市街で、20世紀以後都市化した。新市街の北部はドシットからバン・スーに連なる住宅地で、旧市街に近い地域にチト・ラドゥヤ宮殿、ワット・ベンチャマ・ボピット(大理石寺院)、国会議事堂、動物園などがある。新市街の南部ではニューロードとこの通りから東に分岐するシピヤ、スリウォン、シーロム、サートンの四つの通りで形成する地域に多くの商店が集中し、ショッピング街を形成している。また、その北方はペッブリ、ラーマ1世、ラーマ4世などの幹線道路に沿う新興商業地域が展開する。ラーマ1世通りの延長であるスクムウィット通りの両側から多くの道路が分岐して新興住宅地が広がる。外国人も多くがここに居住する。
 バンコクが旧市街から新市街に拡大するに伴って、交通体系は水路から陸路へ変化し、かつて「東洋のベニス」と称された景観は失われ、おびただしい自動車の排気ガスと騒音の街に変化している。また、水路の陸路化は雨水の処理を困難とし、しばしば深刻な都市洪水の被害を受ける。さらに年3%を超える人口増加によって住宅が不足し、新しい住宅は郊外へ無計画に膨張しつつあるなど、解決困難な多くの都市問題を抱えている。[友杉 孝]

歴史

16世紀中葉まで、現在のバンコク付近はチャオプラヤー川が大きく蛇行して舟運の妨げとなっていたため、プラチャイ王(在位1534~46)のとき、短絡運河の掘削が行われた。17世紀にフランス人が作成した地図に「バンコク島」I. de Bangkocと記されているのはそのためである。ナライ王(在位1656~88)はここに砲台を築いて外敵の侵入に備えた。1767年、アユタヤはビルマ軍の攻撃によって破壊されたが、侵入軍を撃退したタークシンは、秩序の回復に際してアユタヤを再建せず、西洋人にバンコクの名で知られたトンブリーを新都に定めた。1782年、タークシン失脚の後を受けたチャクリは、首都を対岸に移し、これをクルンテープとよんだ。これが今日のタイの首都である。歴史的にみると、バンコクの人口構成はきわめて複合的で、港市のもつ国際的性格をよく示している。19世紀中葉ここに住んだフランス人宣教師によれば、首都の人口40万人強の半数が中国人、12万がタイ人、残りはラオ人、ベトナム人、カンボジア人、モン人、マレー人、ビルマ人であったという。西側を蛇行するチャオプラヤー川に囲まれたバンコクは、東方に向かって3条の運河が同心円弧状に次々に掘削され、これらをつなぐ小運河網が市内各地を連結していた。1862年ラーマ4世のとき「ニューロード」が初めての本格的道路として建設された。[石井米雄]

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