改訂新版 世界大百科事典 「エイズ」の意味・わかりやすい解説
エイズ
AIDS
ヒト免疫不全ウイルス(HIV)の感染によって発症する疾患。1981年6月,アメリカのロサンゼルス地区で5例の成人男子に日和見感染opportunistic infectionの一種であるカリニ原虫による肺炎が発生したことが報告され,7月にはニューヨーク,カリフォルニアで26例のカポジ肉腫Kaposisarcomaが発生していたこと,さらに1976年から81年7月のあいだに108例の症例の通報があった。当時は,症状の頭文字をとってKSOIと呼ばれた。82年になってアメリカ防疫センターの丹念な調査により,この病気が伝染するものであり,根底には患者の免疫状態の著しい低下があると判断し,acquired immuno deficiencysyndorome(後天性免疫不全症候群)と定義,その頭文字からAIDSとした。
パスツール研究所のL.Montagnierらは,83年,エイズの前駆症状を起こしている4例の患者から新しい型のレトロウイルス(その遺伝子であるRNAを逆転写酵素(RT)でDNAに変換して増殖するウイルス)を分離,リンパ腺病変ウイルス(LAV)と命名した。84年には免疫学的にもLAVが病因であることが示された。並行して,アメリカ国立癌研究所でもR.C.GalloらはHTLV-IIIの分離を報告した。両グループによってウイルス抗原を用いたエイズ病原体の免疫学的判定法が樹立され,8月にはJ.Levyらが3番目に名のりをあげてエイズ関連レトロウイルス(ARV)の分離を報告した。86年,ウイルス分類国際委員会はこれらに対して,human immunodeficiensy virus(HIV)と統一命名し,それまでのLAV,HTLV-III,ARVの名前はHIVの一分離株として使用されることとなった。
その年,西アフリカに由来する比較的病原性の弱いウイルスLAV-2が報告されたが,遺伝子解析の結果,従来のHIVとは異なるためHIV-2と命名,これまでのHIVをHIV-1とし,HIVのタイプはHIV-1とHIV-2に分離される。
流行の現状と経路
1981年の最初の報告以来,HIVの感染者総数は96年末現在,全世界で約2800万人,540万人の人命が失われたと推定されている。96年には310万人の新規感染者があり,サハラ以南のアフリカ,南アジア,東南アジアの地域で世界の85%を占めている。97年の時点で毎日8500人が新しく感染し,そのうち15歳未満の小児が1000人,女性が3000人と推定されている。日本では1997年10月末,3543人のHIV感染者と1705人のエイズ発病者が報告されている。
感染経路は,HIV感染者との性行為,HIV感染者の血液を介して,さらにHIV感染の母よりの母子間感染である。1980年代前半は先進国における男性間性的接触として報じられることの多かったのが,80年代後半以降は異性間性行為によって,燎原の火のごとく途上国を襲っているのが世界の現状である。
血液を介しての経路では薬物注射濫用者の注射針の共用による感染が全世界で当初から今までの未解決の課題となっている。汚染された血漿製剤による感染は大きな社会問題となり,アメリカで8000名以上,日本で1800名以上の感染があった。またHIV検査のできなかった状況での輸血による感染も医療事故としての重大問題であったが,HIV抗体のスクリーニングによりその事故はほとんど制圧され,またウイルス不活化法の導入と相まって,血漿製剤による新しい感染は86年以降見られていない。しかしHIVスクリーニングの行われていない途上国ではなお大きな課題となっており,また感染のきわめて初期の血液からの危険性をも絶滅しなければならない。
HIV感染母体から子への周産期感染は約30%と報告され,全世界で約170万人,日本で97年10月までで28例報告され,人類の将来にとって重大な危機となっている。
HIV感染予防のワクチンの開発はHIVが高度に変異するためきわめて困難な状態であり,DNAワクチンなどの最新の技術導入による開発が続けられているが,予防の第一義は以上述べた感染経路の遮断である。
治療法
エイズ発症の目印となっている日和見感染,特にカリニ肺炎などの予防,治療の進歩,医療体制の整備の進んでいる状況では,エイズ患者の生存率は著しく改善された。根本的治療はHIVに対する直接の抗ウイルス薬を主とする。HIVに関する分子生物学,宿主反応の免疫学的研究の成果に基づき,抗ウイルス薬は著しく進歩した。1987年,逆転写酵素阻害剤であるAZTが登場してから,同列のddI,ddC,d4T,3TCとよばれている抗HIV剤,プロテアーゼ阻害剤であるSQV,IDV,RTV,NFVがアメリカにおいて治療薬として承諾され,日本でも,承認,あるいはその準備中である。HIVの感染者の体内での増殖動態を明らかにしたうえで進められたこれら薬剤の多剤併用療法は,アメリカで96年に見られたエイズ患者死亡数の顕著な減少に貢献している。薬剤耐性ウイルスの発現,治療時期,経済的問題などの課題をかかえてはいるが,病原体発見後14年で,かつて〈死の病〉であったエイズ,HIV-1感染病を,〈治療可能な慢性感染性疾患〉へと変貌させた。病原を追求し続けてきた現代医学の成果である。
執筆者:西岡 久壽弥
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報