朝日日本歴史人物事典 「中村伝九郎(初代)」の解説
中村伝九郎(初代)
生年:寛文2(1662)
江戸前・中期の歌舞伎役者。幼名勘太郎。俳名舞鶴。初代中村勘三郎の長男初代勘九郎の子。寛文7(1667)年江戸中村座で中村勘太郎の名で初舞台。延宝6(1678)年に4代目勘三郎を襲名して中村座座元となった。貞享1(1684)年3代目勘三郎の子竹松に座元を譲り,中村伝九郎と改名する。武道,荒事,所作事にすぐれ,「奴丹前の開山」と称された。特に,元禄らしい荒々しさと滑稽を含んだ朝比奈の役は「大磯通」を始め,「兵根元曾我」「けいせい浅間岳」などが大当たりで,彼の工夫による糸鬢,鎌髭,猿隈,素袍の鶴の丸紋,語尾に「だもさ」と付けるモサ詞は,朝比奈の型として今に伝わっている。小柄で物言いが固く,男性に好まれたという。伝九郎の名跡は,大正期の6代目まで続いた。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1・2期,『明和伎鑑』(『日本庶民文化史料集成』6巻)
(加藤敦子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報