労働者農民党(読み)ろうどうしゃのうみんとう

精選版 日本国語大辞典 「労働者農民党」の意味・読み・例文・類語

ろうどうしゃのうみん‐とう ラウドウタウ【労働者農民党】

昭和二三年(一九四八)一二月、社会党除名者・脱党者が、黒田寿男主席として結成した政党。社共両党の中間に位置する民主人民戦線の主流をめざしたが、成功せず、三二年一月解党略称労農党

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改訂新版 世界大百科事典 「労働者農民党」の意味・わかりやすい解説

労働者農民党 (ろうどうしゃのうみんとう)

1948年に日本社会党から分かれて結成された左翼社会民主主義の政党で,略称は労農党。この年,日本民主党と社会党の連立内閣である芦田均内閣の国務大臣西尾末広が,社会党書記長のとき土建会社から献金を受けた事件が追及され,黒田寿男ら社会党左派の一部が,野党の西尾国務相不信任案に同調することを主張して党内で対立し,さらに48年度国家予算の国会審議で反対投票したことにより,7月7日に除名などの処分を受けた。黒田や木村禧八郎らは同月12日に社会党正統派議員団を結成,12月2日労農党を創立し,〈社会党の反動性〉を批判,〈民主人民戦線の結成〉〈平和的手段による革命的民主政権の樹立〉をめざし,日本共産党と連携して民主主義擁護同盟の運動などをすすめた。しかし党を主体的に発展させることができず,57年1月16日の第6回大会で解散を決め,結党後8年で社会党に復帰した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「労働者農民党」の意味・わかりやすい解説

労働者農民党
ろうどうしゃのうみんとう

日本の政党。1948年12月に結成された社会主義政党。労農党と略すが,第2次世界大戦前の労農党および労働農民党とは別のもの。1948年7月芦田均内閣の予算案に造反して反対投票した与党日本社会党左派の黒田寿男岡田春夫らが党から除名されて結成した。主席黒田,書記長中原健次。結成時には衆議院議員 12人,参議院議員 7人が所属した。政治的には日本社会党と日本共産党の中間に位置し,「広汎な民主人民戦線を結成し,平和的手段によって革命的民主政権の樹立を期す」ことを目的とした。その後の選挙で所属議員が減少し,党の独自性も薄れ,1957年1月16日解党大会を開き解散,日本社会党との統一を決定し,所属議員は同党に復帰した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「労働者農民党」の意味・わかりやすい解説

労働者農民党
ろうどうしゃのうみんとう

1948年(昭和23)12月、結成された社会主義政党。日本民主党と社会党の連立内閣である芦田均(あしだひとし)内閣の予算案に反対して社会党から除名などの処分を受けた黒田寿男(ひさお)、堀真琴(ほりまこと)(1898―1980)、岡田春夫(1914―1991)らが結成。民族独立民主連合の結成、農地改革の徹底などを目ざした。社共両党の中間に位置し、支持基盤は日農や国鉄労組の一部、知識人などであった。1957年1月に解党、所属議員4名は社会党に復帰した。

[吉田健二]

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百科事典マイペディア 「労働者農民党」の意味・わかりやすい解説

労働者農民党【ろうどうしゃのうみんとう】

労農党

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旺文社日本史事典 三訂版 「労働者農民党」の解説

労働者農民党
ろうどうしゃのうみんとう

労農党④

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