政治家、外交官、法学博士。京都府出身。1912年(大正1)東京帝国大学仏法科卒業後外務省に入り、ロシア、フランス、トルコ、ベルギーに駐在。ロシア革命を身近に見、パリ講和会議も経験する。満州事変における政府の政策を不満とし、1932年(昭和7)退官。同年立憲政友会から衆議院議員に当選。1933~1940年までジャパンタイムズ社長。軍部には批判的で、1942年の翼賛選挙には非推薦で当選。第二次世界大戦後は親欧米リベラル派として浮上、1945年10月幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣の厚相に就任、11月には鳩山(はとやま)一郎らと日本自由党創立に参加した。1946年(昭和21)6月衆議院憲法改正委員会委員長として日本国憲法制定に参与。1947年3月日本進歩党に転じ、同月犬養健(いぬかいたける)らと民主党を結成し、その総裁となった。同年6月社会党首班三党連立の片山哲内閣に副総理兼外相として入閣。翌1948年3月片山内閣総辞職後、首相兼外相として民主・社会・国協三党連立の「中道内閣」を組織した。高まる労働争議に対し、公安条例、政令二〇一号などを公布し、厳しい態度で臨んだ。GHQ(連合国最高司令部)内の抗争も絡んだ復興金融金庫融資による昭電疑獄事件で同年10月総辞職を余儀なくされ、自身も逮捕された。1958年2月無罪とはなるが、保守政界のリーダーに復帰することはなかった。国際法、外交史の面での著作も多い。
[宮﨑 章]
『芦田均著『第二次世界大戦外交史』(1959・時事通信社)』▽『芦田均著『革命前後のロシア』再版(1959・自由アジア社)』▽『芦田均著、進藤栄一・下河辺元春編纂『芦田均日記』(1986~1992・岩波書店)』▽『宮野澄著『最後のリベラリスト・芦田均』(1987・文芸春秋)』
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外務官僚出身の政治家。京都府出身。東大法科卒業後外務省に入る。満州事変を機に退官し,1932年衆議院議員に当選(以後,当選11回)。その間,33-40年ジャパン・タイムズ社長となる。第2次大戦の遠因と近因を解明する内容の《最近世界外交史》《第二次世界大戦外交史》を著した。この外交史の把握が背景となって,戦後,日本国憲法第9条に自衛権を認めさせる含意の〈芦田修正〉がなされている。リベラリストとしての評価を受けた芦田は占領体制下の政界で活躍した。鳩山一郎らと日本自由党結成に参加。45年幣原(しではら)喜重郎内閣の厚相。46年衆議院憲法改正委員会委員長に任命される。47年自由党を脱党して民主党結成に参加,総裁となり社会党との連立政権を組閣。片山哲内閣の副総理,外相を務め,48年3月には芦田内閣を組閣した。同内閣は昭電疑獄で7ヵ月で倒壊した。
執筆者:高橋 彦博
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昭和期の政治家 首相;日本民主党総裁。
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1887.11.15~1959.6.20
昭和期の外交官・政治家。京都府出身。東大卒。外交官試験に合格し,最初の任地ペテルブルクでロシア帝国の崩壊を目撃。満州事変を機にベルギー大使館勤務を最後に辞職,立憲政友会に入党した。「ジャパン・タイムズ」社長に就任。第2次大戦後は日本自由党創立に参画するが,吉田茂とのライバル意識からしだいに離れ,新憲法制定時の衆議院憲法改正特別委員会委員長として,憲法解釈に独自の立場をとる。1947年(昭和22)民主党総裁となり,社会党との連立内閣に外相として入閣。さらに翌年首相となるが,昭和電工疑獄で総辞職においこまれ,晩年は志を得なかった。「芦田均日記」(全7冊)がある。
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…〈疑獄〉という言葉は,元来入獄させるか否かが明確でなく,犯罪事実があいまいな事件を意味する。この種の事件は多かれ少なかれ政・官・財界に波及するため,現在では政治問題化した利権関係事件の総称となっている。政治問題として社会的に大きく取りあげられ,ジャーナリズムによる声高な批判を代償として,刑事事件としては訴追されることがきわめて少ないのが疑獄事件の特徴といってよい。 明治初期においては,山県有朋が関与したといわれる山城屋事件など,藩閥政府と政商とが特権の供与をめぐって直接結びついたケースがあり,多くは表沙汰にならなかった。…
…昭和電工は森コンツェルンの重要な総合的化学工業会社であったが,戦災のため中心の川崎工場が壊滅的な打撃を受けた。また戦後の財閥解体を利用した芦田均らの策動により,社長が森暁から日野原節三に代わった。日野原は会社の再建と拡充のため復興金融金庫から巨額の融資を受け,その額は48年6月までに約23億6000万円,化学工業関係企業への融資の36%を占めた。…
※「芦田均」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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