吉田自休(読み)よしだ・じきゅう

朝日日本歴史人物事典 「吉田自休」の解説

吉田自休

没年元禄7(1694)
生年:生年不詳
江戸前期の外科医。吉田流外科の開祖。字は鉅豊,通称は安斎,自休と号した。長崎の半田順庵に南蛮医学を学び,寛永20(1643)年マカオに赴いてさらに医術修業をつんだ。南蛮,紅毛,漢方三方の医術を取捨選択して,新たに三国流外科をおこした。門人坂田昌全を養子とし,吉田(自庵)姓を名乗らせて家業を継がせた。<著作>『三国流外科伝書』30巻,『三明一智集』<参考文献>関場不二彦『西医学東漸史話』上,盧千里『長崎先民伝』

(深瀬泰旦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田自休」の解説

吉田自休 よしだ-じきゅう

?-1694 江戸時代前期の医師。
肥前長崎の人。長崎の半田順庵に南蛮医方(ポルトガル医学)をまなぶ。慶長-元和(げんな)のころマカオにおもむき医術をおさめて帰国し,南蛮・和蘭(オランダ)・漢方の三方をとりいれた吉田流外科をおこした。元禄(げんろく)7年死去。字(あざな)は鉅豊。通称は安斎。著作に「三国流外科伝書」など。

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