坂田鉄安(読み)さかた・かねやす

朝日日本歴史人物事典 「坂田鉄安」の解説

坂田鉄安

没年:明治23.3.18(1890)
生年:文政3(1820)
宗教家で,幕末維新期に 禊教布教尽力。天保12(1841)年,父の正安と共に禊教教祖井上正鉄の門人となる。正鉄に厚く信頼され「信殿」の愛称を受ける。正鉄の没後,各地で布教し,安政5(1858)年には山城で開教。文久2(1862)年,活動について寺社奉行より取り調べられ,他の門弟と共に所払いに処せられる。その後,神祇伯の白川家の御内人となり布教を続ける。維新後も禊教の布教をすすめ,正鉄を祀る井上神社創建を東京府知事に出願,東京下谷に建てる。明治15(1882)年には神道禊教長。<参考文献>荻原稔『井上正鉄門中史便覧』

(井上順孝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂田鉄安」の解説

坂田鉄安 さかた-かねやす

1820-1890 幕末-明治時代の宗教家。
文政3年生まれ。禊(みそぎ)教の教祖井上正鉄(まさかね)の門人で,正鉄の死後,各地で布教。明治9年惟神(いしん)教会禊社を結成し,12年東京下谷に正鉄をまつる井上神社を創建した。明治23年3月18日死去。71歳。

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世界大百科事典(旧版)内の坂田鉄安の言及

【井上正鉄】より

…78年,梅田村に改葬。《遺訓集》《玉の緒》などの書を残し,門人坂田鉄安によって禊教が開かれた。【大隅 和雄】。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」