山本義経(読み)やまもと・よしつね

朝日日本歴史人物事典 「山本義経」の解説

山本義経

生年生没年不詳
平安後期の武士近江源氏。義定の子。近江国(滋賀県)山本郷を本拠とし山本冠者と称した。弓馬の芸に優れ,仁安3(1168)年左兵衛尉に任じた。安元2(1176)年延暦寺堂衆を殺害したため佐渡流罪となったが治承3(1179)年に帰郷。翌年,東国挙兵した源氏に同調して平家に反した。寿永2(1183)年7月,木曾義仲と共に入京して京中守護を分担。平家追討の勲功賞として伊賀守に任ぜられ,同年12月,義仲のクーデタ後の除目で若狭守に転じた。翌元暦1(1184)年1月,義仲が敗れ,源範頼・義経が上洛してからのちの消息は不明。<参考文献>野口実「後白河院清和源氏」(古代学協会編『後白河院』)

(野口実)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本義経」の解説

山本義経 やまもと-よしつね

?-? 平安時代後期の武将
治承(じしょう)4年(1180)源頼朝の挙兵に応じて近江(おうみ)(滋賀県)で兵をあげたが,平知盛(とももり)の軍に敗れて鎌倉にのがれる。寿永2年源義仲とともに京都にはいり,京都守護を担当。伊賀守(いがのかみ),若狭(わかさの)守となるが,義仲敗死後消息をたった。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の山本義経の言及

【錦織氏】より

…前九年の役の後,源頼義は錦織郷に館を構えて住んだと伝え,その子義光も園城寺やその近傍と関係が深く,子孫は山本,柏木,錦織,箕浦(みのうら)の諸氏となった。錦織氏は,義光の曾孫山本義経の子義弘,または義弘の弟義高を祖とするという。1180年(治承4)山本義経父子は近江で反平氏の兵を挙げて敗れたが,83年(寿永2)源義仲の軍に加わり上洛した。…

【箕浦氏】より

…近江国坂田郡箕浦(今の滋賀県坂田郡近江町)を本拠とする。清和源氏,源義光の子孫で,山本義経の子義明が箕浦冠者と称している。義光は園城寺をはじめ近江と関係が深く,その子孫は,常陸に土着して佐竹氏となったもののほかは,多くは近江,とくに湖東地方で栄え,山本(東浅井郡湖北町),柏木(甲賀郡水口町),箕浦,錦織(大津市)の諸氏となった。…

※「山本義経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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