岡本監輔(読み)おかもと・かんすけ

朝日日本歴史人物事典 「岡本監輔」の解説

岡本監輔

没年:明治37.11.9(1904)
生年:天保10(1839)
幕末維新期の北方政策に関与した探検家,官吏通称は文平,号は韋庵。阿波(徳島県)の医薬家に生まれる。文久3(1863)年から慶応1(1865)年に樺太と蝦夷地を踏査,樺太北部の状況をはじめて明らかにした。明治1(1868)年2月,侍従清水谷公考らを説き,蝦夷地経営の急務を説く建議朝廷に提出させた。4月,箱館裁判所の内国事務局権判事となり箱館に在勤する。同年閏4月,箱館府権判事となり樺太全島の事務を委任される。移民を連れクシュンコタンに至る。明治2年には開拓判官となるが,政府の樺太政策に不満を持ち辞任。のち,東大予備門御用掛,一高講師,台湾総督府国語学校教授などを歴任。京都で没。<著作>『岡本氏自伝』<参考文献>河野常吉『岡本監輔先生伝』

(麓慎一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡本監輔」の解説

岡本監輔 おかもと-かんすけ

1839-1904 幕末-明治時代の探検家,官吏。
天保(てんぽう)10年10月17日生まれ。文久3年以来3度にわたり樺太(からふと)を探検。維新後,箱館裁判所権(ごんの)判事,開拓使判官として樺太開拓につとめるが,政府の消極策のため明治3年辞職。清(しん)(中国)各地を歴遊し,台湾総督府国語学校などで教職についた。明治37年11月9日死去。66歳。阿波(あわ)(徳島県)出身。通称は文平。号は韋庵。著作に「岡本氏自伝」など。

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