川口一郎(読み)かわぐちいちろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「川口一郎」の意味・わかりやすい解説

川口一郎
かわぐちいちろう
(1900―1971)

劇作家演出家。東京生まれ。1923年(大正12)渡米、コロンビア大学演劇科に学ぶ。28年(昭和3)帰国、32年に『劇作同人に加わり『二十六番館』を発表して注目される。築地座(つきじざ)を経て37年の文学座創立に参加。第二次世界大戦後はおもに演出家として活躍、『ママ貯金』や『欲望という名の電車』などを手がけた。寡作ながら、『島』(1938)、『田宮のイメエジ』(1947)など8編の優れた戯曲を残している。

大笹吉雄

『『川口一郎戯曲全集』全1巻(1972・同書刊行会)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川口一郎」の解説

川口一郎 かわぐち-いちろう

1900-1971 昭和時代の劇作家,演出家。
明治33年9月30日生まれ。渡米してコロンビア大演劇科にまなぶ。昭和7年「劇作」同人となり,「二十六番館」を発表。寡作(かさく)ながら「二人の家」「島」などをのこす。戦後はおもに演出家として活躍,「欲望という名の電車」などを手がけた。昭和46年7月13日死去。70歳。東京出身。明治学院高等部中退。
格言など】夫婦間柄って,一番近いようにみえていて,割に遠いもんだよ(「田宮のイメエジ」)

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世界大百科事典(旧版)内の川口一郎の言及

【新劇】より

…そして1930年代になると,岸田,久保田を師とする若手劇作家群が劇作専門の雑誌《劇作》に拠って続々と登場し,この《劇作》派の戯曲が築地座で次々と初演された。川口一郎(1900‐71),田中千禾夫(ちかお)(1905‐95),小山祐士(ゆうし)(1906‐82),内村直也(1909‐89),森本薫ら,市民生活の哀歓を心理的せりふの躍動で描く劇作家たちの出現である。また同じころ(1931‐36),金杉惇郎・長岡輝子夫妻の主宰する〈テアトル・コメディ〉もフランス近代心理劇を上演し,飯沢匡(1909‐94)らの劇作家を生みだした。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」