劇団名。1935年(昭和10)に解散した築地(つきじ)座の後を受けて、37年9月に岸田国士(くにお)、岩田豊雄(とよお)(獅子文六)、久保田万太郎の幹事で友田恭助、田村秋子を中心に結成された。旗揚げ公演は友田の戦死などで遅れたが、杉村春子、中村伸郎(のぶお)、宮口精二ら若手の陣容に改めて、翌年3月森本薫作『みごとな女』ほかの上演を第1回試演会とした。プロレタリア演劇に対抗して「姑息(こそく)と衒学(げんがく)と政治主義を排し、真の意味における『精神の娯楽』を舞台を通じて知識大衆に提供する」芸術至上主義的な劇団として結成されたが、その性格から第二次世界大戦前の新劇弾圧を逃れ、戦後まで生き延びる唯一の新劇団となった。第二次世界大戦中は久保田、森本、真船豊(まふねゆたか)、飯沢匡(ただす)らの創作劇を中心に活動を続けたが、とくに森本の『女の一生』(1945)は戦後も繰り返し上演されて代表的なレパートリーになった。第二次世界大戦後加入した芥川比呂志(あくたがわひろし)、加藤道夫、福田恆存(つねあり)らがフランス戯曲やシェークスピアの上演で新風を吹き込み、アトリエでの小公演でもイヨネスコ、ベケットなどの前衛劇を手がけて成果をあげた。1963年(昭和38)1月、1956年に退座していた福田の「新芸術運動」に参加すべく芥川、高橋昌也(まさや)、岸田今日子、加藤治子ら29名が大量脱退した。同年11月には『鹿鳴館(ろくめいかん)』などを書き下ろした座員の三島由紀夫が自作の『喜びの琴』の上演拒否で座を離れ、ほどなく中村伸郎、賀原(かはら)夏子ら14名も三島の後を追ったために、文学座は解散かとささやかれたが、杉村以下、演出家の木村光一や、北村和夫、江守徹(とおる)、太地(たいち)喜和子ら若手の努力で危機を脱した。以後、木村の発言力が増すとともに宮本研の『美しきものの伝説』や水上勉の『飢餓海峡』など、従来になかったカラーを加えて活動力を回復したが、その木村は座の運営をめぐる意見の相違で80年に退座、太地は92年(平成4)に事故死した。大黒柱の杉村も97年4月に没した。いずれも文学座にとっては少なくない、あるいは大きな痛手だったが、この間に西川信広、鵜山仁(うやまひとし)らの演出家、平淑江(たいらよしえ)や内野聖陽(まさあき)らの俳優を輩出、わが国最古で最長の新劇団として旺盛(おうせい)な活動を続けている。
[大笹吉雄]
『大笹吉雄著『日本現代演劇史 昭和戦中篇Ⅱ』(1992・白水社)』▽『大笹吉雄著『女優 杉村春子』(1995・集英社)』▽『戌井市郎著『芝居の道――文学座とともに六十年』(1999・芸団協出版部)』▽『大笹吉雄著『日本現代演劇史 昭和戦後篇Ⅰ、Ⅱ』(1998、2001・白水社)』▽『北見治一著『回想の文学座』(中公新書)』
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第2次大戦後の日本における代表的な新劇団の一つ。1937年,岸田国士(くにお),久保田万太郎,岩田豊雄を発起人として,友田恭助・田村秋子夫妻(しかし同年,友田は戦死し田村も身をひいた),杉村春子,中村伸郎,宮口精二,三津田健らによって創立された。政治性を排した〈娯楽としての演劇〉を目ざし,戦中も弾圧を免れた唯一の新劇団として活動を続けた。戦後は49年に芥川比呂志(1920-81)らも加わり,〈フランス演劇研究会〉〈アトリエ公演〉で内外の新しい演劇を紹介・上演する一方,森本薫《女の一生》,T.ウィリアムズ《欲望という名の電車》,シェークスピア《ハムレット》などの上演で地歩を固め,昭和20年代,30年代を通じ,新劇界の中枢的劇団として多くの人々に親しまれた。なかでも劇団の中心的存在である杉村春子(1909-97)主演の《女の一生》は,700回以上も上演を重ねている。1960年代以降は脱退者が相次ぎ,63年に脱退した芥川比呂志は,福田恒存(つねあり)らと劇団雲を結成,これはさらに75年に再分裂して,芥川,岸田今日子,仲谷昇らは演劇集団円を結成している。
執筆者:川添 裕
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…それらは日本語で書かれた,西欧的意味でもっとも洗練された作品である。他方築地小劇場と対立する立場に立って新劇運動にも加わり,《現代演劇論》(1936)に収められるエッセーを著したばかりでなく,37年には文学座を創設した。またベストセラーとなった《暖流》(1938)のほか《由利旗江》(1929‐30),《双面神》(1936)など社会的視野をもった独特な新聞小説も書いている。…
…しかし,29年(昭和4),前年来の中心的メンバーであった小山内薫の急死を契機に築地小劇場は分裂,解散した。以後の戦前新劇は,〈新築地劇団〉〈新協劇団〉〈築地座〉の3劇団を中核に展開したが,40年夏に,左翼的傾向を持つ新築地劇団,新協劇団は強制解散を命じられ,築地座の発展である〈文学座〉(1937創立)のみが戦時中の活動を許され,42年には佐々木隆らにより〈文化座〉が結成された。 45年の敗戦後は,前記2劇団のほか,戦時中に弾圧されていた新劇人たちが一斉に戦前新劇を復興させる旺盛な劇団活動を展開した。…
…また同じころ(1931‐36),金杉惇郎・長岡輝子夫妻の主宰する〈テアトル・コメディ〉もフランス近代心理劇を上演し,飯沢匡(1909‐94)らの劇作家を生みだした。 築地座は1936年2月に解散にいたるが,それが母体となって翌37年9月,〈文学座〉が結成される。この文学座は,戦前の日本新劇史における一方の潮流の到達点であるが,当時の政治状況下にあって,新協劇団や新築地劇団のような直接的な反体制的活動は行わずに,もっぱら市民生活者の心情を心理主義的写実性によって描くことにより,単独劇団としては唯一,弾圧を免れ,戦時中もその活動を許されていたのであった。…
…なお,19世紀の作品では,《シラノ・ド・ベルジュラック》(辰野隆・鈴木信太郎訳ほか)はよく親しまれた作品であり,例外的な存在となっている。また,20世紀の作家については,その時々の新風の紹介ということもあって,岩田豊雄らによる文学座での両大戦間近代劇の上演,芥川比呂志,加藤道夫らによる戦後演劇(サルトル,カミュ,アヌイ)の実験的紹介・上演から,劇団四季のジロードゥー,アヌイの上演に至る系譜を形づくっており,それは政治あるいはイデオロギー偏重の新劇界で,〈文学的〉という名の下での脱政治・脱イデオロギー的選択に照応している。逆に,俳優座衛星劇団の若手演劇人たちがサルトルにひかれたのは当然であった。…
※「文学座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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