デジタル大辞泉
「後涼」の意味・読み・例文・類語
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あと‐すずみ【後涼】
〘名〙
近世、京都祇園町のくるわことば。陰暦六月一八日から(期間不定)の
納涼の称。
芸妓の練り物などがあってにぎわった。六月七日(のちには六日)から一四日までの
祇園会の期間を大
涼みと呼ぶのに対する。六月七日から一八日までにぎわう
四条河原の
夕涼みは、一般には単に「涼み」と呼び、「あとの涼み」とは別。
※
洒落本・くたまき綱目(1761)水辺之詞「床
(ゆか)。川
(かは)。
床几(せうぎ)。跡涼
(あとすずみ)」
こう‐りょう ‥リャウ【後涼】
中国、
五胡十六国の
一つ。三八六年氐
(てい)族の呂光が前秦から独立して
甘粛に建国。都は
姑臧(甘粛省武威県)。四代で、四〇三年、後秦に滅ぼされた。
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後涼
こうりょう
384〜403
五胡十六国の一国
前秦の苻堅 (ふけん) に仕えた氐 (てい) 族の呂光 (りよこう) がその始祖。呂光は苻堅の淝水 (ひすい) の敗戦を聞くと,そのまま甘粛に根拠して建国。403年後秦に征服された。
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世界大百科事典(旧版)内の後涼の言及
【涼】より
…386‐403年。通称は後涼。略陽(甘粛省秦安県)の[氐](てい)族の首領呂光(りよこう)によって創建された。…
※「後涼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」