成川遺跡(読み)なりかわいせき

日本歴史地名大系 「成川遺跡」の解説

成川遺跡
なりかわいせき

[現在地名]山川町成川 曲道

成川マールの南西側に突き出した舌状の丘陵尾根から、その南側麓にかけて存在する古墳時代前期を中心とする集団墓。昭和三二年(一九五七)採土作業によって発見され、翌三三年に発掘調査が行われた。同五六年には成川バイパス工事に伴って発掘調査が行われ、翌年工事完了とともに遺跡のほとんどは消滅した。墓の型式は穴を掘ってそのまま遺体を埋めた土壙墓で、一四三基が確認されているが、人骨の数から考えて墓はもう少し多いものと思われる。平面形は長方形円形のものもあるが、ほとんどは隅丸長方形を呈し、木棺石棺などの痕跡はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「成川遺跡」の意味・わかりやすい解説

成川遺跡
なりかわいせき

鹿児島県指宿市山川の火山性盆地内緩斜面にある遺跡。弥生時代中期から古墳時代前期に及んで営まれた集合墓地の遺跡で,1957年に発掘調査された。 300体以上の人骨,多数土器鉄器などが発見された。立石土壙墓があることや,装身具がまれであるなどの特殊性をもっている。

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