松本和(読み)まつもと・かず

朝日日本歴史人物事典 「松本和」の解説

松本和

没年:昭和15.1.20(1940)
生年:万延1.2.23(1860.3.15)
明治期の海軍軍人。幕臣松本十右衛門,もと次男。明治13(1880)年海軍兵学校,22年海軍大学校卒。25~29年参謀本部,軍令部勤務,32年「八重山艦長となり,日露戦争(1904~05)時には戦艦富士」艦長を務める。41年艦政本部長を経て,42年海軍中将に進む。大正2(1913)年呉鎮守府司令長官。3年,艦政本部時代に装甲巡洋艦(のち戦艦)「金剛発注に当たり,ヴィッカース社側に便宜を図った謝礼として代理店であった三井物産から40万円余を収賄した事実が判明し(シーメンス事件),軍法会議で懲役4年,追徴金40万円余の判決を受けて免官,位記を返上した。海軍大臣候補とも噂されており,収賄した金は海相就任後に機密費に当てるつもりであったという。<参考文献>小原直『小原直回顧録

(鈴木淳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松本和」の解説

松本和 まつもと-かず

1860-1940 明治-大正時代軍人
安政7年2月23日生まれ。八重山,富士などの艦長をつとめ,明治41年艦政本部長となる。42年海軍中将。大正3年巡洋戦艦金剛発注の際,40万円余を収賄(しゅうわい)し(シーメンス事件),軍法会議で懲役3年,追徴金40万9800円の判決をうけた。昭和15年1月20日死去。81歳。江戸出身。海軍大学校卒。名は「やわら」ともよむ。

松本和 まつもと-やわら

まつもと-かず

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の松本和の言及

【シーメンス事件】より

…海軍当局は査問委員会を設け,沢崎寛猛海軍大佐,藤井光五郎海軍機関少将を収賄容疑で軍法会議にかけた。ついで軍艦〈金剛〉建造にからんでイギリスのビッカーズ会社から代理店三井物産を通じて収賄したとして呉鎮守府長官松本和中将,三井物産重役岩原謙三,山本条太郎らも収監された。海軍部内からの告発もあって民衆運動は盛り上がり,2月10日には同志会,国民党,中正会の野党3派提出の山本内閣弾劾決議案が上程されたが,与党政友会の多数に否決された。…

※「松本和」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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