柳原資明(読み)やなぎはらすけあき

改訂新版 世界大百科事典 「柳原資明」の意味・わかりやすい解説

柳原資明 (やなぎはらすけあき)
生没年:1297-1353(永仁5-正平8・文和2)

鎌倉末~南北朝時代の公卿柳原家の祖。持明院統大覚寺統との対立の中にあって,兄の日野資名とともに持明院統側に立った。後醍醐天皇の討幕計画の首謀者の一人だった日野資朝も兄。足利尊氏が建武政権に反し,持明院統を擁立しようと図った際には,光厳院の側近としてその衝にあたった。以後北朝の重臣として活躍し,権大納言にすすんだ。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柳原資明」の解説

柳原資明 やなぎわら-すけあき

1297-1353 鎌倉-南北朝時代の公卿(くぎょう)。
永仁(えいにん)5年生まれ。日野俊光の4男。光厳(こうごん)天皇につかえる。足利尊氏が建武(けんむ)政権に反旗をひるがえすと後醍醐(ごだいご)天皇にしたがうが,のちふたたび光厳院につかえ,正二位,権(ごんの)大納言にすすんだ。柳原家の祖。文和(ぶんな)2=正平(しょうへい)8年7月27日死去。57歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例