朝日日本歴史人物事典 「根岸武香」の解説
根岸武香
生年:天保10.5.15(1839.6.25)
幕末明治期の国学者。幼名新吉,のち伴七と改め,榧園と号す。武蔵国大里郡甲山村(埼玉県大里郡大里村冑山)に根岸友山の子として生まれる。剣を千葉周作に学び,和漢の学を寺門静軒,安藤野雁に修めた。嘉永3(1850)年名主役となり,安政3(1856)年大里郡の水利堤防普請総代となるなど公事に尽くした。維新の際父が官軍に捕らえられたのを救う。維新後は出世著しく,県会議員,同議長を経て,明治27(1894)年貴族院議員となった。一方壮年のころから古物古跡の研究に努めた。その成果は吉見百穴(埼玉県比企郡吉見町大字北吉見)の発掘,『日本古印譜』の編纂など多大であったが,「何事もなしはてずして紅葉ばとともに散りゆく我命かな」という辞世を残した。<参考文献>柴田常恵「根岸武香君小伝」(『東京人類学会雑誌』207号)
(飯倉洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報