日本大百科全書(ニッポニカ) 「安藤野雁」の意味・わかりやすい解説
安藤野雁
あんどうぬかり
(1815―1867)
幕末期の歌人、国学者。名は謙次、政美、通称は刀禰(とね)。野雁は号で「のかり」とも。父は奥州(福島県)伊達(だて)郡桑折(こおり)の地方(じかた)役人北村氏。7歳で父を失ったため、同郡の代官寺西氏に養育され、のちに半田銀山役人安藤氏の婿養子となる。寺西元栄(てらにしもとなが)(1782―1840)に和歌を学び、また本居大平(もとおりおおひら)門の内池永年(うちいけながとし)(1763―1848)に師事して国学を学ぶ。23歳で寺西元栄に随行、豊後(ぶんご)(大分県)日田(ひた)に移り、4年後江戸に出たが、晩年は所々を転々、貧窮のなかで1864年(元治1)『野雁集』を自撰(じせん)、翌1865年『万葉集新考』を成した。慶応(けいおう)3年3月24日武蔵(むさし)国(埼玉県)熊谷(くまがや)で没、53歳。
[嶋中道則 2016年4月18日]
わが顔を壁の穴よりうかがひつ鼠(ねずみ)の友と思ふなるべし
『渡辺刀水編『安藤野雁集』(1934・上田泰文堂)』