竹沢弥七(7代)(読み)たけざわ・やしち

朝日日本歴史人物事典 「竹沢弥七(7代)」の解説

竹沢弥七(7代)

没年明治9.9.18(1876)
生年天保2(1831)
義太夫節三味線弾き。紀州(和歌山県)出身。6代目弥七の門弟。前名滝造。明治2(1869)年に大阪・堀江芝居で大三味線を弾き大当たりを取った。追随者が続出し曲弾きが流行したため大阪浄瑠璃界の因講を除名されたが復帰し,7年上京したときに,またもや方二尺(約60cm)の胴の大三味線を弾き評判となった。なお弥七の初代は初代竹沢藤四郎の門弟が18世紀前半に名乗っている。また10代目は昭和期の重要無形文化財保持者。<参考文献>『義太夫年表/明治篇』

(鎌倉惠子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹沢弥七(7代)」の解説

竹沢弥七(7代) たけざわ-やしち

1831-1876 幕末-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方
天保(てんぽう)2年8月14日生まれ。6代弥七の門人。明治2年大阪の堀江芝居で大三味線をひいて評判となる。7年浅草で方2尺の胴の大三味線をひいた。明治9年9月18日死去。46歳。紀伊(きい)出身。初名は滝造。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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