リットン(読み)りっとん(英語表記)Edward George Earle Lytton Bulwer-Lytton, 1st Baron Lytton

デジタル大辞泉 「リットン」の意味・読み・例文・類語

リットン(Lytton)

(Edward George Earle Lytton Bulwer-~)[1803~1873]英国政治家小説家。「ポンペイ最後の日」など、多数通俗小説を書いた。
(Victor Alexander ~)[1876~1947]英国の政治家。の孫。父の任地インドで出生。インド総督代理などを経て、英国の国際連盟代表となり、満州事変の国際連盟調査団団長としてリットン報告書を作成

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精選版 日本国語大辞典 「リットン」の意味・読み・例文・類語

リットン

  1. [ 一 ] ( Edward George Earle Lytton, Bulwer-Lytton エドワード=ジョージ=アール━、ブルワー━ ) イギリスの政治家、小説家。「ポンペイ最後の日」、織田純一郎訳「花柳春話」の原作「アーネスト=マルトラバーズ」など多くの通俗小説を書き、政治家としては植民地相などをつとめた。(一八〇三‐七三
  2. [ 二 ] ( Victor Alexander George Robert Lytton ビクター=アレクサンダー=ジョージ=ロバート━ ) イギリスの政治家。[ 一 ]の孫。インド事務次官、ベンガル知事、インド総督代理を歴任。一九三二年、国際連盟日華紛争調査委員長として、満州事変に関する報告書を提出。(一八七六‐一九四七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リットン」の意味・わかりやすい解説

リットン
りっとん
Edward George Earle Lytton Bulwer-Lytton, 1st Baron Lytton
(1803―1873)

イギリスの小説家、政治家。ケンブリッジ大学卒業。バイロン的ダンディーとして社交界で人気を博す。結婚後生涯家庭生活に恵まれず、収入を得るため精力的な文筆活動をしながら政界に入り、植民地相まで務めた。当時の流行を取り入れた通俗小説を多作し、『ポール・クリフォード』(1830)、『ユージン・エアラム』(1832)は犯罪小説、『ポンペイ最後の日』(1834)、『リエンツィ』(1835)、『最後の直臣』(1843)は歴史小説、そして最高作といわれる『ペラム』(1828)では当時の社交界を描いた。

[佐野 晃]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リットン」の意味・わかりやすい解説

リットン(伯)
リットン[はく]
Lytton, Edward Robert Bulwer-Lytton, 1st Earl

[生]1831.11.8. ロンドン
[没]1891.11.24. パリ
イギリスの外交官詩人。リットン男爵の子。 1872~76年ポルトガル駐在公使を経てインド総督となる (1876~80) 。在任中,77年デリーでイギリス女王をインド皇帝と宣言し,インド帝国が成立した。第2次アフガン戦争 (78~80) が起るとインド財政は一層危機を深め,これらの政策非難があがると土着語出版法により言論,出版に弾圧を加えた。 87年フランス駐在大使となる。詩人としても知られ多くの詩作がある。

リットン(男)
リットン[だん]
Lytton, Edward George Earle Bulwer-Lytton, 1st Baron

[生]1803.5.25. ロンドン
[没]1873.1.18. トーキー
イギリスの小説家,政治家。やや浅薄ながら多才の作家で,そのときどきの流行に応じて諸種の小説を試み,生前は好評を博した。代表作『ペラム』 Pelham (1828) ,『ポンペイ最後の日』 The Last Days of Pompeii (34) 。ほかに戯曲もある。 1831年以降政界で活躍,58~59年植民地相。 66年男爵に叙せられた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「リットン」の解説

リットン Lytton, Victor Alexander George Robert, 2nd Earl of

1876-1947 イギリスの政治家。
1876年8月9日インドで生まれる。1876年8月9日インドで生まれる。海軍省・インド省の政務次官などをへて国際連盟イギリス代表。1931年満州事変の国際連盟調査団長となり,昭和7年日本をへて満州(中国東北部),中国各地を視察。同年報告書(通称「リットン報告書」)を提出して,満州国不承認,日本の国際連盟脱退のきっかけをつくる。1947年10月26日死去。71歳。ケンブリッジ大卒。

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