萱津(読み)かやづ

改訂新版 世界大百科事典 「萱津」の意味・わかりやすい解説

萱津 (かやづ)

尾張国海東郡内の地名。現,愛知県あま市の旧甚目寺(じもくじ)町大字上萱津・中萱津・下萱津あたり,鎌倉時代には〈かやつ〉,室町時代以降〈かいつ〉とも呼んだ。〈草津〉とも書く。五条川と庄内(しようない)川の合流点北西部に位置する。古代律令制下では,伊勢から尾張に入る東海道の馬津駅(まつのうまや)(現,津島市)と新溝(にいみぞ)駅(現,名古屋市か)を結ぶ草津渡があった。鎌倉時代になると,美濃墨俣(すのまた)(現岐阜県大垣市,旧墨俣町)から尾張へ入る鎌倉街道の,黒田宿(現愛知県一宮市,旧木曾川町)と熱田(あつた)(現,名古屋市熱田区)の中継地として,また伊勢から津島を経てきた道と鎌倉街道との合流点にあたる要衝として,萱津宿がさかえた。東西南北の4宿があり,鎌倉時代には将軍上下向の際にはしばしば宿泊地とされた。定期市もにぎわい,1242年(仁治3)には萱津東宿市がみえる。しかし斯波(しば)氏の築城による街道の変化と海岸線の南下により,萱津宿の必要性は失われ,戦国時代には衰退した。
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百科事典マイペディア 「萱津」の意味・わかりやすい解説

萱津【かやづ】

尾張国海東郡にあった中世鎌倉街道宿駅。現愛知県海部郡甚目寺(じもくじ)町(合併してあま市)のうち。〈かやつ〉〈かいつ〉などともよばれた。《吾妻鏡》によれば1195年には源頼朝,1238年には将軍藤原頼経,1252年には将軍宗尊親王が萱津宿に宿泊しており,鎌倉幕府の将軍の上下向の際には当地を宿泊地とするのがほぼ通例となっていたようである。1242年の《東関紀行》には〈かやつの東宿の前を過ぐれば,そこらの人集まりて〉〈けふは市の日になむ当りたるぞといふなる〉と宿や市の賑わいが記される。また萱津宿の遊女傀儡(くぐつ)は有名で,歌にも詠まれている。だが鎌倉街道の経路変更などにより必要性が次第に薄れ,戦国期までに衰退した。
→関連項目下津黒田宿

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世界大百科事典(旧版)内の萱津の言及

【海津】より

…滋賀県高島郡マキノ町にある琵琶湖北西岸の港町の地名。甲斐津,萱津,貝津とも書いた。越前敦賀に至る七里半越の起点であり,畿内と北陸を結ぶ街道に位置し,湖南の大津,堅田との湖上交通は早くから開けて,湖北の要港として知られていた。…

【尾張国】より

… 東西を結ぶ交通は,鎌倉幕府成立後盛んとなり,尾張に与える影響も大きかった。主な交通路である鎌倉街道は,三河より鳴海・熱田・古渡・萱津・下津・黒田・玉井を経て美濃墨俣へとつづく。萱津は伊勢経由路との合流点でもあり,市が立つにぎわいをみせ,熱田は熱田社の門前町と海路への宿の二つの要素を備えて発展した。…

※「萱津」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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