東関紀行(読み)トウカンキコウ

デジタル大辞泉 「東関紀行」の意味・読み・例文・類語

とうかんきこう〔トウクワンキカウ〕【東関紀行】

鎌倉中期の紀行。1巻。作者鴨長明源光行源親行などが擬せられたが未詳。仁治3年(1242)以後に成立。京都から鎌倉に下る旅と、鎌倉滞在中の見聞を、流麗な和漢混交文で記したもの。

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精選版 日本国語大辞典 「東関紀行」の意味・読み・例文・類語

とうかんきこうトウクヮンキカウ【東関紀行】

  1. ( 「東関」は関東の意 ) 鎌倉中期の紀行。一巻。仁治三年(一二四二)以後に成立。作者は、鴨長明・源光行・源親行が擬せられたが不詳。仁治三年隠遁生活を願う作者の京から鎌倉へ下る旅と鎌倉滞在中の見聞を美文調の洗練された和漢混淆文でつづったもの。長明道之記、親行道之記などともいう。

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百科事典マイペディア 「東関紀行」の意味・わかりやすい解説

東関紀行【とうかんきこう】

鎌倉前期の紀行。1巻。作者は,鴨長明源光行,源親行などの説があるが不詳。京都東山に隠遁生活をしていた作者が都を立って鎌倉に下り,2ヵ月滞在後帰京の途につくまでの見聞を記す。和文脈の強い和漢混淆(こんこう)文で,《海道記》の漢文訓読臭の強い文体とは対照的。《十六夜日記》《海道記》とともに鎌倉紀行文学の代表作。
→関連項目赤坂萱津事任神社橋本宿

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東関紀行」の意味・わかりやすい解説

東関紀行
とうかんきこう

鎌倉中期の紀行文学。一巻。作者未詳。1242年(仁治3)8月10日ごろ京都を出発し、十余日後鎌倉に到着。そこで約2か月間滞在し、10月23日ごろ帰途に着くまでのことを書いているが、京都から鎌倉までの道中記大部分で、鎌倉滞在記は逗留(とうりゅう)期間60日にしてはきわめて短い。文章は漢語を多く用いた和漢混交文であるが、和文、漢文のよくこなれた流暢(りゅうちょう)な文章である。また文中に『源平盛衰記』や『長門本(ながとぼん)平家物語』の文章と類似した部分がある。同じ鎌倉時代東海道や鎌倉を描いた『海道記』に比べると自照性に乏しく、紀行文学としての文学的価値は低い。

[祐野隆三]

『玉井幸助・石田吉貞校註『日本古典全書 海道記・東関紀行・十六夜日記』(1951・朝日新聞社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「東関紀行」の意味・わかりやすい解説

東関紀行 (とうかんきこう)

鎌倉時代の紀行。1巻。著者には古来,鴨長明,源光行,源親行などがあてられたが,確証はなく,不詳。京都東山に住む50歳近い著者が,1242年(仁治3)の鎌倉への旅のありさまを,道中の歌枕にちなむ故事などを豊富におりまぜて,歌とともに記したもの。文章は,漢文訓読調の強い《海道記》とは対照的に,和文脈を主とし,道行文の名文として《源平盛衰記》《延慶本平家物語》などに引用されている。
執筆者:

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日本歴史地名大系 「東関紀行」の解説

東関紀行
とうかんきこう

一冊

成立 仁治三年頃か

写本 国会図書館

解説 著者未詳。仁治三年京より鎌倉に赴くまでの紀行。瀬田の長橋・野路・篠原・鏡宿・武佐寺・老蘇森・醒井・柏原などがみえる。

活字本 群書類従一八・日本古典全書など

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東関紀行」の意味・わかりやすい解説

東関紀行
とうかんきこう

鎌倉時代中期の紀行文学。作者未詳。1巻。仁治3 (1242) 年冬以後まもなく完成か。江戸時代には鴨長明または源親行の作と信じられていたが,ともに誤り。京都東山に住む 50歳近くの作者が,仁治3年8月鎌倉へ下り,2ヵ月滞在したのち帰京の途につくまでの紀行文。 19年ほど前に成立した『海道記』の著者が伊勢路経由で鈴鹿山を越えたのに対し,この著者は不破関跡を通る美濃路経由のコースをとった。各地で古人の詩歌を引きながら旅懐を述べ,みずからも和歌を詠んでいる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「東関紀行」の解説

東関紀行
とうかんきこう

1242年(仁治3)京都東山に住む作者が,京都と鎌倉間を往還した紀行。対句表現を多用した流麗な文体で,「平家物語」や芭蕉への影響も指摘される。「海道記」とともに江戸時代には鴨長明作と信じられたが不詳。琵琶湖の南岸に沿って一部東山道を経由し,尾張国に入る新ルートをとる。鎌倉滞在中の記述には大仏建立など貴重なものもある。和歌55首を含む。「群書類従」「新日本古典文学大系」所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「東関紀行」の解説

東関紀行
とうかんきこう

鎌倉中期の紀行文
1巻。作者は源親行 (ちかゆき) というが不詳。1242年秋,京都を出発し十数日で鎌倉に着き,2か月滞在して帰京するまでの紀行文。和漢混交文で書かれ道行文 (みちゆきぶみ) の元祖。

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世界大百科事典(旧版)内の東関紀行の言及

【おくのほそ道】より

…古人の跡を求めて歌枕探訪の旅に出た主人公が,〈奥〉の受洗で独自の〈風流〉に開眼する点に,作品の意義があろう。《幻住庵記》で俳文の〈記〉の創出に成功した著者が,次の試みとして〈道の記〉の創出にとりくんだもので,前者が鴨長明の《方丈記》をふまえたように,これも当時《長明道の記》と称された《東関紀行》をふまえている。なお,同行の曾良には詳細な旅日記がある。…

※「東関紀行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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