藤原超子(読み)ふじわらのちょうし

朝日日本歴史人物事典 「藤原超子」の解説

藤原超子

没年:天元5.1.28(982.2.24)
生年:生年不詳
平安中期,冷泉天皇の女御。藤原兼家と藤原中正の娘時姫の子。道兼,詮子,道長の同母姉。従四位下。安和1(968)年入内,同年12月女御。当時兼家は蔵人頭従三位で,父が公卿でない女御の初例となった。父兼家と伯父兼通の確執のなかにあって,天皇の寵を得,居貞親王(三条天皇)をはじめ3皇子と光子内親王をもうけ,父の権力維持を助けた。天元5(982)年1月,一晩寝ずに過ごす庚申の夜,脇息に寄りかかったまま急逝。「髪が長く美しく」て「まるで眠っているように」死に,兼家は涙にくれ激しく嘆いたという。三条天皇即位皇太后を追贈される。なお,晩年兼家が室とした大輔は超子の女房

(楢原潤子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原超子」の解説

藤原超子 ふじわらの-ちょうし

?-982 平安時代中期,冷泉(れいぜい)天皇の女御(にょうご)。
藤原兼家の娘。母は藤原中正の娘,時姫。安和(あんな)元年(968)入内(じゅだい),御匣(みくしげ)殿とよばれる。三条天皇,為尊(ためたか)親王,敦道(あつみち)親王,光子内親王を生んだ。天元5年1月28日,庚申(こうしん)待ちの明け方急死。三条天皇の即位により皇太后を追贈された。

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