中国,六朝梁末から晩唐五代に至る詩文の精華を集大成した書。北宋の太宗は唐末五代の戦乱で散逸した文献の整理収集につとめ,李昉(りほう)らに命じて《太平御覧》1000巻,《太平広記》500巻を編纂させるとともに,梁の昭明太子編《文選》30巻の後を継ぐものとして,ほぼ同じ体例のもとに,主として唐代の作者2200人,詩文2万編近くを選んで38類,1000巻にまとめさせた。987年,わずか4年余で完成させたこともあって,杜撰な部分を含むが,今日では滅びてしまった文集も多く,本書によって作品を残すことのできた文学者も少なくない。また多くの詔勅や碑誌を収録していて史伝の欠を補うことができるほか,現存詩文集の校訂にも役立ち,資料的価値はきわめて高い。本書は1204年,南宋になってからやっと出版。このうち現存するもの140巻,それに1567年,明の隆慶元年刊本860巻を補った影印本が,1966年中華書局から出ている。
執筆者:筧 文生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、宋(そう)初、982年(太平興国7)太宗(たいそう)が「太平」の文飾のために命じた詞華集。1000巻。宋白らによって始められ、編集者が交代しつつ、かなりの年月を費やして終了した。書名は梁(りょう)の蕭統(しょうとう)の『詩苑英華』に倣い、内容は蕭氏の『文選(もんぜん)』に続くものとし、梁陳から唐五代にわたる詩文の精華を収載すべく企図された。ただ結果的には選択が唐代に深く傾斜し、網羅の方向にも揺れ、文学的立場が薄れた。のち長く写本で伝えられて錯誤が生じたから、南宋の周必大(しゅうひつだい)(1126―1204)の下で彭叔夏(ほうしゅくか)らが校正した。ここに唐末集本を承(う)ける宋初の本文や、北宋末に失われた詩文を存する、たぐい少ない資料的意義が明らかとなった。明(みん)代に胡維新(こいしん)が翻刻したが、その拠(よ)るところが周氏刊本の抄写であったので、原刊の諸巻を含む北京(ペキン)中華書局印本がやや優れている。わが国では、胡刻に先んずる明初写本が諸機関に蔵せられ、胡本の錯誤を正すよすがを得ることができる。
[花房英樹]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…〈――歌〉とか〈――行〉という題が多いので,この名がある。詩の分類にこの一類を立てる選集は宋初(987)に成った《文苑英華》がおそらく最も早い。以下それによってこの体の性格を考えよう。…
※「文苑英華」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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