近江大津宮錦織遺跡(読み)おうみおおつのみやにしごりいせき

国指定史跡ガイド 「近江大津宮錦織遺跡」の解説

おうみおおつのみやにしごりいせき【近江大津宮錦織遺跡】


滋賀県大津市錦織にある宮殿跡。大津市西部、JR西大津駅の北方約500mに位置し、667年(天智天皇6)、天智天皇によって飛鳥(あすか)から遷都された近江大津宮跡と推定されている。しかし、672年(天武天皇1)の壬申(じんしん)の乱によって近江朝廷側が破れ、近江大津宮は廃棄された。『日本書紀』に「浜台、大蔵、宮門、朝庭、殿、漏刻台(ろうこくだい)、内裏(だいり)仏殿、内裏西殿、大蔵省第三倉、新宮大炊(おおい)」など、宮にかかわる建物などの記載があるが、実態はほとんど不明だった。発掘調査の結果、当地一帯で宮の中心部分の一部が確認されるようになり、宮の推定地の一つである錦織2丁目御所之内地域で、天智天皇のころ遺物をはじめ、大規模で整った配置の遺構が発見された。建物は、東西4間以上、南北1間以上の門跡をはじめ、この門から東に延びる回廊を6間まで確認し、さらに東に及ぶことがわかった。この回廊の5間目からは北に向かい、直角に9間以上延びる柵が連なって、門や回廊、柵で囲まれる範囲は広場となっていた。また、この地域の北方、錦織1丁目御所大平の地域でも東西4間以上、南北1間以上の建物が発見され、その西縁から西方に向かって柵が2間延びていてその西端は南北に向かい、7間以上の柵に連なっていた。建物の南には広場があり、その南に南北の柵から東に向かう5間以上の柵が見られた。これらの遺構は建物軸を真北に取って相互に関連する形で整然と配置され、巨大な柱穴と堀をともなう柵列のあり方などから、一種官衙(かんが)の構造である。遺物の時期が天智天皇のころであること、遺構の構造が宮の一画を暗示することなどから、近江大津宮の重要な一部と見ることもできる。ただし、大津市南滋賀町、滋賀里町などの推定地については十分な調査がされておらず、この遺跡はとりあえず明確な遺構のある地域として1979年(昭和54)に国の史跡に指定され、2007年(平成19)に南門の遺構の所在する地域が追加指定を受けた。京阪電鉄石山坂本線近江神宮前駅から徒歩約2分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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