朝日日本歴史人物事典 「長瀬富郎」の解説
長瀬富郎
生年:文久3.11.21(1863.12.31)
明治時代の実業家。花王石鹸創業者。美濃国(岐阜県)恵那郡福岡村の百姓代で酒造業兼営の長瀬栄蔵と母ヤツの次男。幼名富二郎。明治18(1885)年上京し米相場に手を出すが失敗,洋小間物伊能商店番頭。20年独立して馬喰町に長瀬洋物店を開業,富郎と改名。23年有銘石鹸として「花王石鹸」を発売した。横浜の堤磯右衛門の流れを汲む村田亀太郎工場が鹸化から型打ちを担当,薬品調合と包装を長瀬本舗が行い,輸入品に対抗するため薬剤師瀬戸末吉が香科,色素を調合。当初は「香王石鹸」で登録したが,アジア市場を目指し,楊貴妃の姿の牡丹を暗示する「花王」とし,輸入鉛筆の月星印をヒントに三日月の「顔」をとり入れ,顔の長い人を「花王石鹸」と呼ばれるまでにした。35年直営工場設立,44年25万円の合資会社長瀬商会を設立。<参考文献>服部之総『初代長瀬富郎伝』,『花王石鹸五十年史』『花王史100年』
(小林正彬)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報