香春町(読み)かわらまち

日本歴史地名大系 「香春町」の解説

香春町
かわらまち

[現在地名]香春町香春

香春岳の東麓を南北に走る秋月街道に沿ってできた長方形在郷町。東は金辺きべ川を境に高野たかの村、北は下香春村の殿との町、南は町口まちぐちで下香春村に接する。近世の香春町は、慶長六年(一六〇一)細川忠興の末弟孝之が香春岳かわらだけ城二万五千石の城主として入部し、城下町を形成したことに始まる(綿考輯録)。忠興が同年九月一日に松井佐渡守に宛てた書状(松井文庫蔵)には、新しい香春岳城の縄張りについて記されている。現在、香春岳いちノ岳中腹におにじようという字と城の遺構が残る。永禄年間(一五五八―七〇)に香春町人の長として富永新四郎宗真の名がみえ(「松島家系図」松島家蔵)、香春祇園会の開闢にかかわり、長福ちようふく(現在の光願寺)の大檀越にもなったというので、戦国期には町の原型があったと思われる。慶長一五年には伊勢御師橋村大夫が「香春岳町」を訪れ、秦平右衛門尉の屋敷に宿泊し、前田和泉守・上松弥兵衛尉・市坂八郎左衛門尉のほか三一名に御祓大麻を配札しており、前述の宗真や鍛冶善四郎・同善介、畳屋四郎左衛門といった職人の名もみえる(同年九月吉日「御祓賦日記」神宮文庫蔵)

元和八年人畜改帳では無高で、家数三三八、人数七九七(うち町人一七六・鍛冶三・番匠三)、牛二一・馬六二。香春町は正保国絵図では高二〇石余とあるが、元禄国絵図では「下香春村ノ内」と記される。宝永七年(一七一〇)の村々万覚書(瓜生文書)では竈数二六四・人数八八八、牛馬三〇。文政一二年(一八二九)の村々手鑑帳(香春町史)では高二四石余。旧高旧領取調帳では香春町村として高三六石余。町場は現在も町並・道路がそのまま残っており、街道に沿って北から職人町・ほん町・山下やました町と続き、山下町に並行してうお町の通りもある。南北一二町二五間(一三四一メートル)、東西五七間(一〇二・六メートル)の短冊形地割長方形街区として形成され、職人町と本町の境、本町と魚町の境に折れが設けられ、道の両脇には石組の水路がある。

香春町
かわらまち

面積:四四・五六平方キロ

田川郡の北東端に位置し、町域の西部に香春岳がそびえる。北部の山地で北九州市小倉南区に接し、東はりゆうヶ鼻(標高六八〇・六メートル)から南に延びる障子しようじヶ岳(四二七・三メートル)飯岳いいだけ(大坂山、五七三メートル)の山地で京都みやこ勝山かつやま町・犀川さいがわ町、南はあか村・大任おおとう町、西は田川市・方城ほうじよう町に接する。飯岳山はいの岳ともいう。東西の山地の間は田川断層によってできた地溝的な凹地で、町の中央部を南北に細長く延び、国道三二二号やJR日田彦山線が通り、竜ヶ鼻に発した金辺きべ川も香春岳の東麓まで南流し、香春神社の南で西に流れを変える。中流域でくれ川、下流域で御祓みそぎ川を合流する。古代から現在まで田川郡に所属。「和名抄」にみえる同郡香春郷は香春岳を含む現香春一帯に比定される。「香春町史」によれば、条里遺構は金辺川南岸の香春条里と採銅所の大隈さいどうしよのおおくま条里がみられる。大宰府から豊前国府(現豊津町)への官道田河道(豊前路)が通り、鏡山かがみやまに田河駅があったと推定される。町域南東部に比定される勾金まがりかね庄は、長元四年(一〇三一)に立庄されている。南北朝期から登場する香春岳かわらだけ城では、たびたび合戦が繰返された。天正一五年(一五八七)の九州平定後、豊臣秀吉企救きく・田川両郡を森吉成(毛利勝信)に与え、香春岳城主高橋元種は日向延岡のべおか(現宮崎県延岡市)に転封となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「香春町」の意味・わかりやすい解説

香春〔町〕
かわら

福岡県東部,遠賀川の支流金辺 (きべ) 川流域の町。貫 (ぬき) 山地と福智山の境界の金辺峠を境にして,北九州市小倉南区に接する。 1898年町制。 1956年勾金 (まがりかね) ,採銅所 (さいどうしょ) の2村と合体。中心地区の香春は中世には山城のあった香春岳を背後に控える交通の要地で,宿場町として発達。江戸時代には小倉藩の奉行所もおかれた。明治期以後もしばらくは田川地方の中心町であった。南部にあった炭鉱は 1972年までにすべて閉山。筑豊県立自然公園に属する香春岳には石灰岩が多く,カルスト地形が発達。野生のサルや珍しい植物に富む。山麓にセメント工場が立地。中央部を JR日田彦山線,国道 322号線が縦走,福岡市と行橋市を結ぶ国道 201号線が通る。面積 44.50km2。人口 1万191(2020)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android