日田彦山線(読み)ひたひこさんせん

共同通信ニュース用語解説 「日田彦山線」の解説

日田彦山線

JR九州が運行している鉄道路線。非電化で、ディーゼル車両が走る。城野(北九州市)―夜明(大分県日田市)の68・7キロを結び、うち添田(福岡県添田町)―夜明の29・2キロが2017年7月に起きた九州北部の豪雨で被災して不通になった。かつては沿線地域で産出した石炭を運ぶ貨物列車が走り、旅客利用も堅調だったが、炭鉱が閉山されて沿線の過疎化が進んだ。16年度の添田―夜明の1キロ当たりの1日平均乗客数を示す「輸送密度」が131人と、国鉄の分割・民営化でJR九州が発足した1987年度の約5分の1に落ち込んだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日田彦山線」の意味・わかりやすい解説

日田彦山線
ひたひこさんせん

九州旅客鉄道の線路名称。城野(じょうの)(福岡県北九州市)―夜明(よあけ)(大分県)間68.7キロメートル、全線単線、非電化。日豊(にっぽう)本線の城野駅より分岐し、紫川流域をさかのぼって分水嶺(ぶんすいれい)を金辺(きべ)トンネルで貫き、金辺川、彦山川流域を南下して、釈迦岳(しゃかがたけ)トンネル(長さ4380メートル)を経て筑後(ちくご)川中流の日田盆地に至る。沿線にはかつての炭鉱都市田川(たがわ)や平尾台カルスト台地を含む北九州国定公園、耶馬日田英彦山(やばひたひこさん)国定公園などがある。この線の歴史は複雑で、東小倉(こくら)―大任(おおとう)―添田(そえだ)間を1915年(大正4)に開業した小倉鉄道が原型である。同鉄道は1943年(昭和18)国有化されて添田線(初代)となった。一方、行橋(ゆくはし)から田川伊田(いた)、田川後藤寺(ごとうじ)を経て添田に至る田川線があり(1895~1903年豊州(ほうしゅう)鉄道として開業、九州鉄道を経て1907年国有化)、添田線とは香春(かわら)南方で交差していたが連絡線はなかった。添田―夜明間は、添田側よりは田川線、夜明側よりは彦山線の名称で建設を進め、1937~1956年(昭和12~31)に開業、1956年の全通とともに東小倉―大任―夜明間を日田線として統合した。同年城野―石田間の連絡線を新設して旅客列車は日豊本線に乗入れ運転するようになって、東小倉―石田間を貨物支線とした(1962年廃止)。また1957年、香春―伊田間の連絡線を設け、主要列車を田川線後藤寺経由で運転したが、1960年、線名も列車の運転ルートにあわせて、城野―後藤寺―夜明間を日田彦山線とし、従来の日田線のうち、香春―大任―添田間を添田線(2代、1985年廃止)として分離した結果、現在の日田彦山線が成立した。1987年、日本国有鉄道の分割民営化に伴い、九州旅客鉄道に所属。

青木栄一・青木 亮]

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百科事典マイペディア 「日田彦山線」の意味・わかりやすい解説

日田彦山線【ひたひこさんせん】

福岡県城野(じょうの)〜田川後藤寺〜大分県夜明(よあけ)間のJR線。営業キロ68.7km。北九州市と日田市を結ぶ。筑豊の石炭,豊後木材を輸送するために敷設された。1915年小倉鉄道東小倉〜香春(かわら)間開通。1943年国有化。1956年東小倉〜夜明間が全通し日田線と改称。同年日豊本線城野〜石田間に短絡線が完成し石田〜東小倉間を廃止,1960年日田彦山線と再び改称。

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デジタル大辞泉プラス 「日田彦山線」の解説

日田彦山(ひたひこさん)線

JR九州が運行する鉄道路線。福岡県北九州市の城野駅から大分県日田市の夜明駅を結ぶ。

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