日本大百科全書(ニッポニカ) 「アガシー」の意味・わかりやすい解説
アガシー(Alexander Emanuel Agassiz)
あがしー
Alexander Emanuel Agassiz
(1835―1910)
アメリカの海洋学者。古生物学者、地質学者のJ・L・R・アガシーを父にスイスに生まれる。ハーバード大学を卒業後、鉱山技師となり、鉱山経営で成功し巨富を得た。父の創設したハーバード大学の比較動物学博物館(いわゆるアガシー博物館)に多額の寄付をして長年その管理にあたった。アメリカ沿岸測量局の観測船ブレーク号、アメリカ水産委員会のアルバトロス号で西インド諸島近海、東太平洋、東太平洋赤道域、ベーリング海、オホーツク海、日本近海の広範な海洋観測に従事し、航海の総航程10万海里(18万5200キロメートル)に達した。これによってこれら海域の海底地形、海洋生物の諸相を明らかにし、またカリブ海の成因について地質学的考察を行った。鉱山技師だった経験をいかして、ブレーク号のシグズビーCharles D. Sigsbee(1845―1923)船長とともに、それまでの麻ロープにかわる鋼索使用の曳航(えいこう)式採泥器、シグズビー測深機を考案、これらの海洋測器は一時期広く使用された。彼の指揮によるアルバトロス号の1891年の東太平洋、1899~1900年の太平洋赤道域、1904~1905年の東太平洋熱帯域の観測はとくに著名で、『アルバトロス号観測報告』は海洋大探検報告の古典の一つとされている。アメリカに近代的な海洋学、海洋観測の基礎を築いた意味で「アメリカ海洋学の鼻祖」といわれる。
[半澤正男]
アガシー(Jean Louis Rodolphe Agassiz)
あがしー
Jean Louis Rodolphe Agassiz
(1807―1873)
古生物学者、地質学者。スイスのモラー湖畔で5月28日、プロテスタント牧師の家に生まれる。初めローザンヌで、のちにチューリヒやハイデルベルクなどの大学で、薬学や自然科学を学んだ。学生のころから、現生魚類および化石魚類の研究に没頭し、彼の生涯の大著となった『化石魚類』Recherches sur les poissons fossiles全5巻(1833~1834)の一部を出版したことで、パリにいるキュビエやフンボルトの知遇を得た。1832年には若くしてノイシャテル大学教授に任命され、同大学を科学研究の中心とした。1834年に化石魚類研究のためイングランドを訪問、1836年にロンドン地質学会からウォラストン賞を授与された。同年には氷河の研究に着手し、その後10年間にスイスやイギリス、さらに南北両アメリカの氷河を研究し、氷河時代を提示し、1847年には「氷河の体系」という論文を公表した。1846年アメリカに渡り、各地で講演を行い、1847年にハーバード大学の動物学および地質学教授に任命され、1859年にはここに比較動物学博物館を設立した。この博物館への執着や動物学研究のための恵まれた環境のため、教授として招かれたにもかかわらず、ヨーロッパへ戻ることを拒み、1861年にはアメリカに帰化した。魚類をはじめ動物の研究に優れた業績を残したが、ダーウィンの進化論には反対していた。なお、海洋学・動物学者のアレクサンダー・アガシーは彼の息子である。
[大森昌衛]