フランスの古生物学者。フランス南東のモンベリアルに生まれる。シュトゥットガルトで教育を受け、比較解剖学に興味を抱き、伯爵家の家庭教師をしながら海産動物を研究した。自然史博物館の解剖学教授(1795)、コレージュ・ド・フランスの自然史教授(1800)、パリ植物園の解剖学教授(1802)を歴任した。ブロンニャールとの共著で、パリ盆地周辺の化石層序を初めて明らかにした(1811)。また、世界各地の化石脊椎(せきつい)動物を現生動物と比較して記載分類し、比較解剖学を通して古生物学の基礎を確立した(1812)。たとえば断片的な遺骸(いがい)から化石動物を復元したり、化石動物の筋肉の復元にあたっては骨の上の筋肉の痕(あと)を利用することをした最初の一人である。急激な天変地異がおこってそのたびに古い生物が絶滅し新しい生物が出現すると考える激変説(天変地異説)を提唱したが、ライエルやラマルク、ジョフロア・サンチレールなどに反対された。フランス学士院会員、パリ大学総長を務めたほか、ナポレオンに重用され、視学官として教育行政に貢献し、国会議員(1814)、男爵(1831)、内務大臣(1832)などに列せられ、数々の栄誉に輝いた。事実を吸収し分析する才能をもつ、実証主義的傾向を代表する学者で、当時の生物学界の権威と仰がれたが、優れた独創的理論家ではなかった。
[小畠郁生]
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フランスの比較解剖学・古生物学者。ジョフロア・サン・ティレールに認められて,ジャルダン・デ・プラントの比較解剖学の教授となる。その後ナポレオン時代パリ大学の副総長となり教育行政にまで腕を振るい,王政復古後にも権勢を維持しつづけた。動物に四つの型(脊椎動物,軟体類,関節類,放射類)をみとめ,各器官,各部分は特定の機能に媒介されて調和的に統一されている(相関の説)ことを主張した。これによって種に固有な不変領域が明示されることになった。さらに各機能特性(感覚機能,神経機能,循環機能など)の間には,重要さの程度において従属関係が存在することを主張し,生物体の諸部分の相対的価値を規定した(特性の従属関係の説)。主著に《比較解剖学講義Leçons d'anatomie comparée》(1801-05)がある。進化論との関連では,生物の化石の記録を論じていたこと,生物を除去する機能としての“競争”という概念を提示していることなどが挙げられる。しばしばJ.B.deラマルクとの対立関係から進化論の敵対者といわれるが,むしろ先行者である。地質学的には激変説をとった。
執筆者:河本 英夫
ドイツの建築家。ベルギーで生まれ,バイエルン選帝侯マクシミリアン・エマヌエルに登用されてミュンヘンで活躍。軍事建築家として出発したが,パリのJ.F.ブロンデルの下でフランス宮廷建築を習得後,1725年以降バイエルン宮廷建築家としてより装飾性の強いロココ建築を発展させた。ミュンヘン王宮内のライヘ・ツィンマー(1734),王宮劇場(1755),ミュンヘン近郊ニュンフェンブルク宮殿庭園内のアマーリエンブルク(1739)などに優美な内部空間を創造した。有能なスタッコ細工家を採用し,植物をモティーフとしたロココ装飾と建築の融合を行った。
執筆者:杉本 俊多
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…そして18世紀中葉にリンネによって近代的分類学の基礎が固められた。この潮流を背景にして,19世紀初めごろE.ジョフロア・サン・ティレールやG.L.C.F.D.キュビエらが動物界全体の比較解剖学を新しい科学として確立する。他方,このころラマルクにより,次いで19世紀中ごろC.ダーウィンによって生物進化論が創始され,これを転機として形態学と分類学は近代的な展開を見せることになる。…
…18世紀の博物学者らは化石とそれを含む地層の岩質との対応関係をおおまかに知っていたが,W.スミス(1769‐1839)によって生層位学(化石層位学)の方法が確立され,広域の地層対比のための化石の価値が明らかにされた。さらに重要な理論的貢献をしたのはG.キュビエ(1769‐1832)で,彼は比較解剖学を創始して脊椎動物化石を研究した。彼の《化石骨の研究》(1812)は化石復元のモデル的研究である。…
…1780‐1830年ころまではフランス博物学の黄金期にあたる。学者では長く分類学の中軸となってきた〈存在の大連鎖〉(生物界は天使からアメーバまで順列を作り一直線に並んでいるとする説)を断ち切ったG.L.C.F.D.キュビエ,アフリカの鳥類に関する図鑑を刊行したルバイヤンFrançois Levaillant(1753‐1824),西洋人で初めて生きたフウチョウを観察したレッソンRené‐Primevère Lesson(1794‐1849)ら,また美しい図鑑を制作した画工では,オードベルJean Baptiste Audebert(1759‐1800)(《ハチドリの自然史》),バラバンJacques Barraband(1768‐1809)(《オウム類》),プレートルJean Gabriel Prêtre(19世紀前半に活躍)(《フウチョウの自然史》)などがとくに傑出している。またベルギー生れの植物画工ルドゥーテPierre‐Joseph Redouté(1759‐1840)は〈花のラファエロ〉と呼ばれて世界中の人々に愛された。…
…城塞のような外観とは逆に,教会の内部は凹凸の多い曲面によって構成され,軽快な装飾で充満される。この傾向はノイマンのフィアツェーンハイリゲン(十四聖人)巡礼教会(1743‐72)やビュルツブルク司教館(1744)およびヒルデブラントのウィーンのベルベデーレ宮殿(1714‐24)を経て,やがてフランスから移入されたロカイユ装飾を多用する華麗な堂内を作り上げたキュビエの建築へといたる。彼のニュンフェンブルク宮殿のアマーリエンブルク(1734‐39)やミュンヘンの王宮劇場(1750‐53)は,D.ツィンマーマンのウィース巡礼教会(1746‐54)とともにバロック末期ロココ様式の代表作である。…
…中央棟はわずかの装飾要素による平たんなファサードをもち,全体に清楚な美を特徴とする。後にF.キュビエによって大広間の内装に手が加えられ,庭園内の小館アマリエンブルクなどのロココ様式による建物が付加された。ニュンフェンブルク磁器【杉本 俊多】。…
※「キュビエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
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