日本大百科全書(ニッポニカ) 「アジア通貨危機」の意味・わかりやすい解説
アジア通貨危機
あじあつうかきき
Asian financial crisis
1997年のタイ通貨バーツの暴落を引き金に、アジア諸国に連鎖的に波及した経済危機。東アジア・東南アジア各国の資本が一斉にアメリカドルへ逃避し、各国は通貨暴落、対外債務の返済不能、金融システム危機、巨額の不良債権発生、深刻な景気後退に見舞われた。日本を含むアジアだけでなく欧米の主要株価は急落し、アジア各国経済はマイナス成長に陥り、インドネシアのスハルト政権やタイのチャワリット政権は失脚した。国際通貨基金(IMF)がタイ、インドネシア、韓国の支援に乗り出し「IMF管理」ということばを生んだ。ただ、高金利政策や緊縮財政を求めるIMF支援には限界があり、アメリカドルを域内で相互融通する通貨交換協定などアジア独自の金融安定化の枠組みを創設する契機となった。
1990年代、アジア諸国は外国資本導入をてこにした輸出産業伸張で「アジアの奇跡」とよばれる高成長を遂げていた。しかし実態は資本市場の自由化を進めながら多くの国でドル相場に連動(ペッグ)した固定相場制をとっており、アジア通貨は実体より割高に放置されていた。加えて慢性的な経常赤字、短期対外債務への依存構造、巨額の不良債権といった問題を抱えていた。この状況で1997年5月、欧米ヘッジファンドがタイ・バーツを投機的に売り浴びせ、これを直接的契機としてアジア通貨危機が始まった。タイ政府は通貨防衛に全力をあげたが同年7月、変動相場制への移行を余儀なくされた。その後、インドネシア、マレーシア、韓国通貨なども投機的売りを受けて暴落。インドネシアでは急激なインフレが起きて東ティモールなどでの反政府運動が激化し、韓国では財閥が連続倒産した。アジア各国・地域の株式相場は急落し、1998年の実質経済成長率は軒並みマイナス(タイ:-10.8%、インドネシア:-13.1%、マレーシア:-7.4%、韓国:-5.5%、フィリピン:-0.6%)に陥り、アジア景気は極端に冷え込んだ。日本では、アジア向け融資が焦げ付き、北海道拓殖銀行や山一(やまいち)証券が破綻(はたん)した1997年からの金融危機の遠因になったとされる。危機の教訓を踏まえ、日中韓と東南アジア諸国連合(ASEAN(アセアン))は2000年、アメリカドルを融通し合う通貨交換協定「チェンマイ・イニシアティブ」の創設で合意した。なお類似の新興国通貨危機には1994年のメキシコの「テキーラ通貨危機」、1998年のロシア通貨危機、1999年のブラジル通貨危機などがある。
[矢野 武 2019年1月21日]