ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アハド・ハ・アム」の意味・わかりやすい解説
アハド・ハ・アム
Ahad Ha-Am
[没]1927.1.2. パレスチナ,テルアビブ
ロシア系ユダヤ人のタルムード学者,哲学者,随筆家。本名 Asher Ginzberg。ゲットー内の上流家庭に育ち,厳格なユダヤ律法を学んだ。しかし,成人するとともに外界に目を向け,すべてのユダヤ人およびユダヤ教の救われる道は離散社会のなかからは生れないとして,当時急激に高まりつつあったユダヤ・ナショナリズム (→シオニズム ) を肯定し,みずからもシオニストとなった。 1879~86年,ウィーン,ベルリン,ブレスラウ各地を転々とし,86年家族とともにオデッサに移住。 89年『これは道にあらず』 Lo Zeha-Derekhを書き,彼の精神的シオニズムの立場を明らかにした。 96年ヘブライ語月刊誌『ハ・シロー』 Hashiloahの記者となったが,1902年辞職,ロシア各地を旅する。一時ロンドンに住み (1907~21) ,その後テルアビブに定住。そのほかに『精神の法律』 Torah She ba Lev (04) ,『ナショナリズムと宗教』 Al Leumiot ve Dat (10) ,『アハド・ハ・アム書簡集』 Igeroth Ahad Ha-Am (23~25) などがある。
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