北アフリカ北西端、ジブラルタル海峡に臨むスペイン領の港湾都市。モロッコの北端から地中海へ向かって突き出た半島上に位置する。人口7万1505(2001)。海峡対岸、ヨーロッパ側のイギリス領ジブラルタルとともに、古来、軍事・航海上の要衝で、要塞(ようさい)都市として発達した。要塞は半島先端のアチョ山(190メートル)頂上にあり、古代のアビラにあたる。アチョ山は、「ジブラルタルの岩」とともに「ヘラクレスの柱」とよばれ、地中海の門となっている。ラテン名セプテム・フラトレスSeptem Fratres、アラビア語形セプタSebtaと称し、現名称はこれらに由来する。市街はアチョ山南西麓(ろく)の幅350メートル、長さ2キロメートルの地峡上を占める。経済活動は港湾業務が中心で、イワシを主とした漁業、缶詰などの食品加工、造船業が行われる。港は石炭、石油の輸入港、船舶の燃料補給港として重要で、年間の出入船舶はバルセロナに匹敵する。スペイン本土のアルヘシラスとの間にフェリーの連絡があり、南にあるモロッコのテトゥアンとの間に鉄道が通じる。スペイン軍の基地が置かれ、セビーリャ軍管区に属している。町はフェニキア人によって建設され、ローマ、バンダル、イスラム、ポルトガルと支配者がかわった。1415年にポルトガル軍が占領、1580年のスペイン・ポルトガル連合を経て1640年の連合崩壊後スペインの支配下にとどまった。以後ジブラルタルおよび南西45キロメートルのモロッコのタンジールに対抗して、自由都市、自由港として発展してきた。1936年スペイン内戦に際し、フランコ将軍が反乱軍をこの地で組織した。
[田辺 裕・滝沢由美子]
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北アフリカ,モロッコの北端,ジブラルタルのすぐ対岸にあるスペイン領の都市で本国のカディス県に属する。アラビア語でサブタSabta。人口7万1505(2001)。陸軍基地と軍港がある。背後の山はジブラルタルと対になり〈ヘラクレスの柱〉といわれる。古くフェニキア人の時代から商港として栄えた。1415年アラブ支配下にあった港をポルトガルが占領。のち1580年スペインに移譲した。対岸スペインのアルヘシラスから船便がある。漁港,燃料補給港でもあり,缶詰など食品加工工場がある。
執筆者:藤井 宏志
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
モロッコ北端の港市。ジブラルタル海峡を扼(やく)して地中海貿易の拠点として栄え,イスラーム時代に入ると,サハラ以南の西アフリカ隊商交易路の起点の一つとしても重きをなした。1415年ポルトガルのジョアン1世の軍隊に占領され,西アフリカ航路探検航海の基地となった。1580年スペイン領となり,現在に至っている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…しかし,19世紀末以降の実証的な歴史研究によって,エンリケ伝説は次々と否定されるとともに,近年のエンリケ研究からは超人的・ルネサンス的イメージは後退し,より人間的・中世的側面が浮かび上がってきた。 1415年のアフリカ北西端セウタの征服はポルトガルの進出の出発点とされているが,それは同時にエンリケが歴史の舞台に登場する最初の機会でもあった。セウタは当時ヨーロッパに欠乏していた金がアフリカのスーダンから流入する豊かな市場として,またその後背地モロッコは古代ローマ時代から穀倉地帯として知られており,父王ジョアン1世が都市商人層の商業的欲求と貴族階級の領土的野心を合わせて満足させることのできる格好の攻撃目標であった。…
※「セウタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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