アフォンソ5世(その他表記)Afonso Ⅴ

改訂新版 世界大百科事典 「アフォンソ5世」の意味・わかりやすい解説

アフォンソ[5世]
Afonso Ⅴ
生没年:1432-81

ポルトガル,アビス朝の国王在位1438-81年。父王ドゥアルテが早世したため,6歳で即位した。宮廷には北アフリカ侵略を推進しようとする封建貴族勢力と,都市商人層の支持を得て西アフリカ沿岸進出を図ろうとするドン・ペドロ派との対立がみられたが,1438年ドン・ペドロが摂政に就くことで一応後者の勝利に終わり,46年まで西アフリカ進出が積極的に進められた。しかし,国王の親政期(1448以降)に入ると封建貴族勢力が力を盛り返した。58年からローマ教皇の呼びかけに応じて国王自らモロッコ侵略戦争を指揮し,アルカセル・セギル,タンジールを征服してアフリカ王の異名をとった。晩年カスティリャ王位継承問題に介入してイサベル=フェルナンド軍と戦ったが,79年アルカソバス条約でイサベルの権利を認めた。彼の治世はモロッコ,カスティリャの侵略戦争で貴族勢力の跋扈(ばつこ)を許し,王権衰退を招いたが,《アフォンソ法典》やコインブラ図書館など文化的遺産も残している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アフォンソ5世」の意味・わかりやすい解説

アフォンソ5世(アフリカ王)
アフォンソごせい[アフリカおう]
Afonso V, o Africano

[生]1432.1.15. シントラ
[没]1481.8.28. シントラ
ポルトガル王 (在位 1438~81) 。国王ドゥアルテの子。初め叔父ドン・ペドロの摂政下にあったが,親政 (40) まもなく,ドン・ペドロの中央集権化政策に反対する側近貴族にそそのかされてアルファロベイラの戦いで叔父を死にいたらしめた。北アフリカ十字軍を計画し,アルカセルセギル (58) ,アルジラ,タンジェル (71) を征服したが,これらの都市の防衛維持はその後の王室財政に大きな負担となった。また,カスティリアの王位継承に介入してカスティリアの併合を企図したが,1476年フェルナンド=イサベラの軍に敗れた。彼自身は西アフリカ探検に関心を示さなかったが,ドン・ペドロ,エンリケ (航海王子) ,息子のジョアン (のちのジョアン2世〈完全王〉) によりポルトガルの西アフリカ探検は大きく進展した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アフォンソ5世」の解説

アフォンソ5世(アフォンソごせい)
Afonso Ⅴ

1432~81(在位1438~81)

ポルトガル,アヴィス朝の第3代国王。ジョアン1世の孫。父王ドゥアルテ早世ののち,叔父ペドロ親王の摂政期をへて親政。北アフリカ進出政策を推し進めるとともに,カスティリャの王位継承問題にも介入するが失敗。息子ジョアン(のちのジョアン2世)が王権主導の海外進出に着手する一方で,みずからは十字軍理想を追い求める。「アフリカ王」と称される。

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367日誕生日大事典 「アフォンソ5世」の解説

アフォンソ5世

生年月日:1432年1月15日
ポルトガル王(在位1438〜81)
1481年没

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