アフマディー教団(読み)アフマディーきょうだん(その他表記)Aḥmadī

改訂新版 世界大百科事典 「アフマディー教団」の意味・わかりやすい解説

アフマディー教団 (アフマディーきょうだん)
Aḥmadī

アフマド・アルバダウィーを創立者とするイスラム神秘主義教団タリーカ)。バダウィー教団と呼ばれることもある。13世紀に下エジプトタンターの町で活動し,この教団の基礎がつくられたといわれている。教団として有力になってくるのは15世紀の中ごろ以降のことである。オスマン帝国の支配時代にも発展し,エジプトで最も有力な教団に成長した。タンターの町にあるアフマド・アルバダウィーの墓廟を中心にして教団の組織がつくられ,この聖者命日を祝うマウリドと呼ばれる祝祭には,エジプトの各地から参詣者が集まった。この教団の活動には古代エジプト以来のエジプト土着の宗教伝統との結びつきが強いのが特徴であり,マウリドもエジプト土着の暦であるコプト暦によって行われる。

 なお,このアフマディー教団とは系統的にも内容的にも関連はないが,19世紀後半から20世紀初めにインドで行われた宗教運動もこの名称で呼ばれている。ミールザー・アフマド・カーディアーニーMīrzā Aḥmad Qādi'ānī(?-1908)が,19世紀末から20世紀初めにかけて,イスラムを新しい時代の要求にこたえて再解釈しようとする運動を起こした。彼の教説には,スンナ派イスラムの教説から逸脱するものも含まれていたために,スンナ派のウラマーから敵視された。彼の死後,1914年にこの運動はカーディアーン派とラホール派の二つに分裂した。この両派はインドのみならず,インドネシアアフリカなどに広まった。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アフマディー教団」の解説

アフマディー教団(アフマディーきょうだん)
al-Aḥmadīya

アフマド・バダウィーを祖とするイスラームスーフィー教団。マムルーク朝期から現在まで隆盛を誇る。エジプト・デルタの都市タンターにある彼の墓廟を中核とし,その生誕祭は多数の参詣者でにぎわう。同教団から,さらにいくつもの教団が枝分れした。

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世界大百科事典(旧版)内のアフマディー教団の言及

【アフマド・アルバダウィー】より

…エジプトにおける最も有力なイスラム神秘主義教団(タリーカ)であるアフマディー教団の創立者。預言者ムハンマドの血統を引く一族の出といわれている。…

【パキスタン】より

…シーア派系のイスマーイール派のホジャ派やボホラ派は産業界で重要な地位を占めている。また,19世紀に生まれた独特な教義を有するアフマディー教団も存在する。同派は国内では少数派であるが,官界,軍に積極的に進出している。…

※「アフマディー教団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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