アフリカ横断政策(読み)アフリカおうだんせいさく(その他表記)Cape Verde-to-Somaliland Project

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アフリカ横断政策」の意味・わかりやすい解説

アフリカ横断政策
アフリカおうだんせいさく
Cape Verde-to-Somaliland Project

アフリカ大陸の西端カーボベルデから東端に近いジブチまで鉄道を敷設しようとした,フランス帝国主義の政策イギリス帝国のアフリカ縦断政策と対立する政策で,縦断政策とは必然的に衝突する宿命をもっていた。 1898年に起ったファショダ事件がその衝突であった。チャド湖から紅海を目指して東進していたフランス軍と,カイロからナイル川流域を支配下においていたイギリス軍が,今日のスーダン共和国中部のコドク (旧ファショダ) で対峙した。事件は戦火を交えるにいたらず外交的に解決,フランスはアフリカ横断政策を断念した。ダカールからマリ共和国のクリコロにいたる鉄道と,ジブチからアジスアベバにいたる東西両端の鉄道の完成は,ファショダ事件以後であるが,フランスのこの政策の名残りである。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アフリカ横断政策」の解説

アフリカ横断政策(アフリカおうだんせいさく)

アフリカ分割過程におけるフランスの政策で,西アフリカセネガルからサハラ砂漠を横断し,東アフリカジブチ(フランス領ソマリ海岸)との連絡をめざした。フランスは1890年代にサハラ砂漠から赤道アフリカに至る地域の植民地化に成功し,さらに紅海への進出を試みたが,1898年スーダンでのイギリスとの衝突,すなわちファショダ事件譲歩を余儀なくされ,アフリカ横断政策は挫折した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「アフリカ横断政策」の解説

アフリカ横断政策
アフリカおうだんせいさく
Cape Verde-to-Somaliland Project

1880年代からフランスがとったアフリカ分割政策
サハラ砂漠・西スーダンから東方へ横断的に植民地化を計画し,東スーダンに進出したが,1898年イギリスとファショダ事件を起こした。

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