アフリカ縦断政策(読み)アフリカじゅうだんせいさく(その他表記)Capeto-Cairo Project

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アフリカ縦断政策」の意味・わかりやすい解説

アフリカ縦断政策
アフリカじゅうだんせいさく
Capeto-Cairo Project

ケープタウンカイロを,電信線と鉄道で結ぼうとしたイギリス植民地拡大政策3C政策一環をなす。ケープ財界の実力者で,1890年ケープ植民地首相となった C.ローズが推進した。電信線架設および鉄道敷設は,それに要する土地を領有することを当然の前提としており,ケープ植民地からエジプトまでの間をイギリス植民地にする,という帝国主義的野心を表現した。ローズが創設したイギリス南アフリカ会社は,その野心を実現する目的で今日のローデシア,ザンビアなどを領有し,イギリス本国では J.チェンバレン植民相がローズのこの政策に協力した。ドイツはローズの北進政策を阻止する努力をし (→ファショダ事件 ) ,南アフリカ戦争 (1899~1902) は,ローズの北進政策を原因として起った。第1次世界大戦の結果,ケープタウンとカイロは,イギリス植民地だけを通る形で結ばれたが縦断鉄道はついに実現されないで終った。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アフリカ縦断政策」の解説

アフリカ縦断政策(アフリカじゅうだんせいさく)

アフリカ分割過程におけるイギリスの政策で,エジプトのカイロから南アフリカケープ植民地までアフリカ南北に縦断するルート確保が目標であった。スーダンから南下を進める過程で,フランスと衝突しファショダ事件を起こした。第一次世界大戦後の旧ドイツ領東アフリカ獲得などによって,イギリスはアフリカを縦断する植民地を確保し同政策を実現した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「アフリカ縦断政策」の解説

アフリカ縦断政策
アフリカじゅうだんせいさく
Cape-to-Cairo Project

イギリスがとったアフリカ分割政策
ドイツ・フランスの進出に対抗して1880年代よりエジプトとケープ植民地を結ぶ植民地化政策が本格化し,98年ファショダ事件を起こしてフランスの進出を阻止,第一次世界大戦後にはほぼ完成した。

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