アリサストロアミジョヨ(その他表記)Ali Sastroamidjojo

改訂新版 世界大百科事典 「アリサストロアミジョヨ」の意味・わかりやすい解説

アリ・サストロアミジョヨ
Ali Sastroamidjojo
生没年:1903-75

インドネシア政治家。中部ジャワのマゲラン市郊外に生まれジャカルタの高等学校を卒業した後,1923-28年オランダに留学,ライデン大学法学部を卒業した。留学当時からインドネシア民族主義運動に加わり,帰国後もジョクジャカルタスラバヤでの弁護士活動のかたわら,インドネシア国民党入党した。独立後,同党が再建されるとともに,その最高幹部の一人としてこれを率いた。47-49年教育文化相を務め,その後53-55年と56-57年の2度にわたって首相就任。この間アジア・アフリカ会議バンドン会議)の立役者の一人として国際的にも名声をはせた。57-60年国連大使を務めたが,晩年は容共派と目され,不遇であった。死の前年に《自伝》を書きあげ,インドネシア現代史の貴重な証言を残した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アリサストロアミジョヨ」の意味・わかりやすい解説

アリ・サストロアミジョヨ
Ali Sastroamidjojo

[生]1903.5.21. マゲラン
[没]1975.3.13. ジャカルタ
インドネシアの政治家,外交官。オランダのライデン大学法科卒業。留学生の組織「インドネシア協会」に加わり独立運動に貢献。帰国後,スカルノの率いる国民党に入党,スカルノの有力な盟友となった。 1945年のインドネシア独立後,教育相,国連代表,アメリカ駐在大使を経て,53年首相。 55年4月スカルノと協力して第1回アジア=アフリカ会議 (バンドン会議) を推進するなど,非同盟中立外交を展開した。同年7月スカルノ派軍人を偏重したとして陸軍反感を買い辞職したが,55年末の総選挙で第一党となった国民党の力を背景に,56年3月再び首相に就任。 57年3月スマトラ反乱のため辞任。 60年国民党総裁となり,国家最高機関である暫定国民協議会 MPRS副議長に就任。九・三〇事件ののち,容共左派として攻撃の的となり,66年4月国民党総裁の地位を失い,翌 67年8月「スカルノ復帰の陰謀」に加担した疑いで陸軍によって逮捕された。

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百科事典マイペディア 「アリサストロアミジョヨ」の意味・わかりやすい解説

アリ・サストロアミジョヨ

インドネシアの外交官,政治家。駐米大使,国連総会代表を歴任スカルノの創立したインドネシア国民党総裁として再度首相となった。のち国連大使,暫定国民協議会副議長を務めたが,党内左派を代表していたため1966年九月三〇日事件後失脚。

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20世紀西洋人名事典 「アリサストロアミジョヨ」の解説

アリ サストロアミジョヨ
Ali Sastroamidjojo


1903.5.21 - 1975
インドネシアの政治家。
元・インドネシア首相。
1927年ライデン大学在学中、独立運動に加わり逮捕される。’28年帰国しインドネシア国民党幹部として入党し、’47年教育相を経て、’50年駐米大使を歴任し、’53年インドネシア首相となる。’55年軍部と対立し辞任するが、’56年第二次内閣を樹立する。’61年暫定国民協議会副議長も務める。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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