改訂新版 世界大百科事典 「インドネシア国民党」の意味・わかりやすい解説
インドネシア国民党 (インドネシアこくみんとう)
Partai Nasional Indonesia
1927年にスカルノを党首として結成された民族主義政党。インドネシアの統一と団結,インドネシアの独立を掲げ,それ以前にイスラム同盟やインドネシア共産党が主導した運動に参加した人々を再結集するとともに,各地の政治団体と各種の政党の大同団結をはかった。国民党の指導層は,オランダから帰国した留学生や植民地の高等教育機関の卒業生を中心とする知的エリートから構成され,ジャカルタ,バンドン,スラバヤなどのジャワの大都市を活動の拠点とした。29年末にスカルノらの指導者が逮捕されたため,31年には解散したが,3年足らずの活動を通じて〈ムルデカ(独立)〉のスローガンは広く民衆の間に浸透し,スカルノの民族主義者としての名声は大いに高まった。それは1910年代から20年代前半にかけて民族主義運動を主導したイスラムや共産主義に代わって,ナショナリズムがそれらのエネルギーを吸収して新たなシンボルとして出現したことを意味し,インドネシアという一体性が強く意識され始めたことを示していた。31年の解散後,国民党の後身はパルティンドとインドネシア民族教育協会の2派に分かれ,前者の論客スカルノと後者の論客ハッタおよびシャフリルとの間には組織論や運動論をめぐる論争が展開されたが,30年代半ばには指導者の逮捕をはじめとする弾圧により両派とも活動は停止した。インドネシアの独立後,46年にこの党名が復活し,サルトノ,マングンサルコロ,アリ・サストロアミジョヨらが率いて,ジャワ中東部を拠点に,官僚層の間に勢力をもつ四大政党の一つとして,数度にわたって国政を担当した。しかし独立後の国民党には民族の大同団結の党という性格はなく,66年以降の軍勢力の台頭とともに,党勢も衰えていった。73年以降はそれ以外の民族主義政党とともにインドネシア民主党(PDI)に統合されて,党名も消滅した。
執筆者:土屋 健治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報