インドネシア,ジャワ島東部北海岸の港市。ジャカルタに次ぐジャワ島第2の都市。人口268万9728(2003)。マドゥラ島との間の狭いスラバヤ水道にのぞみ,大河ブランタスの分流マス川の河口に位置する良港。歴史的にも重要な港であったが,特に19世紀後半以後東部ジャワの農園開発に伴い,これを商圏とする大きな貿易港となり,経済的にはジャカルタを凌ぐ発展を見せるに至った。スラバヤにおける都市の建設は,15世紀半ば,ジャワでのイスラムの布教に力を尽くした九聖人(ワリ・ソンゴ)の一人スナン・アンペル(ラデン・ラフマット)によるものとされ,市内のアンペル地区に残る彼の墓は,今日も聖地として人々に尊崇されている。しかし,それ以前にも,マス川の河口に位置するこの地域で,活発な通商活動が行われていた可能性は大きい。いずれにせよ初期のスラバヤは,デマック,グレシックなどジャワ北海岸のイスラム系都市国家と深いかかわりをもちながら海港都市として成長した。1743年にオランダ東インド会社領にされた後も,植民地下のスラバヤは,東ジャワの農業地帯を後背地とする商港として発展した。とくに,20世紀に入ってからの港の浚渫,ブランタス川流域の灌漑施設の拡張と甘蔗糖業など農業の増産,鉄道輸送の発達等は,商都スラバヤの役割を決定的に重要なものにした。またスラバヤには,植民地時代からインドネシア最大の軍港が設けられ,現在も海兵隊の基地が置かれている。第2次大戦の終結後,植民地支配復活の意図をもってスラバヤに上陸した連合軍(英印軍)は,1945年11月10日スラバヤの民衆と衝突し,この闘いをきっかけとして,足かけ5年にわたる対オランダ独立戦争の火ぶたが切られた。今日,スラバヤの市内には,この歴史的事件を記念する建造物が数多く建てられている。
市街は町を貫くマス川に沿い,北は埠頭のあるタンジュンペラから,南は油田のあるウォノクロモまで,南北約20kmにわたり細長く延びる。マス川がプリギアン川の支流を分かつ中央部がスラバヤの都心を形成し,その西側が住宅地,学校,教会などの多い部分,東側が中国人街を含むにぎやかな商業区域である。アラブもまた集団的居住区をつくっている。トゥンジュンガン通りはショッピング・センターとして知られる。戦後スラバヤは織物,機械,車両,精糖,精油などの近代工業が発展し,インドネシアの主要工業地帯の一つとなった。なお市の南東にある動物園は設備が整い,コモドオオトカゲを飼っていることでも知られる。市には戦後,国立エルランガ大学,スラバヤ工科大学が設置された。近郊にはトレテス,プリゲンなどの高地休養地も開けている。
執筆者:別技 篤彦+加納 啓良
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インドネシア、ジャワ島北東岸の港湾都市。東ジャワ州の州都。ブランタス川支流のカリマス川河口に位置する。対岸のマドゥラ島との間に狭長なスラバヤ水道を抱く。首都ジャカルタに次ぐ大都市で、人口約295万4400(2001推計)、288万5245(2018推計)。地名は「ワニのすむ川」の意。第二次世界大戦後、織物、機械、船舶、精油など各種工業が発展し、インドネシアの重要工業地帯の一つとなった。またこの地の戦略的位置から、かつてはオランダ海軍、現在はインドネシア海軍の重要基地となっている。市街はカリマス川に沿い、南北約20キロメートルにわたり細長く延びるが、カリマス川が二つに分岐する市の中央部が都心で、にぎやかなタンジュンガン通りはショッピングセンターとなっている。川の西側は住宅・学校地区、東側は中国人、アラブ人などの居住地区である。南東部の動物園はコモドオオトカゲを飼育していることで知られる。国立エルランガ大学がある。
[別技篤彦]
オランダ植民地時代を通じジャワ東部の政治・経済・文化の中心都市として繁栄するとともに、オランダ東インド会社海軍の最重要基地でもあった。同時にインドネシアの民族主義運動の拠点の一つであり、最初の本格的な大衆組織イスラム同盟(サレカット・イスラム)の指導者チョクロアミノトTjokroaminoto(1882―1935)が活躍し、その下で若き日のスカルノが影響を受けたのもこの町であった。また1935年、医師ストモSoetomo(1888―1938)らを中心に結成されたパリンドラ党の本部が置かれたが、同党は日本軍政に至るまでの期間、最大の民族主義政党として重要な役割を果たした。
しかし、スラバヤの名を歴史的に不動なものとしたのは、独立戦争の初期インドネシア側と連合軍(英印軍)との間で展開された激しい市街戦であった。とくに1945年11月10日は、戦闘がピークに達し、インドネシア側は「独立か死か」の呼びかけの下に果敢な抵抗を行った。この日は、今日でも「英雄の日」として毎年全国的に祝われている。
[後藤乾一]
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東部ジャワのブランタス川河口の人口約300万の都市。ジャワの米の積出港として16~17世紀初めに港市国家として繁栄。東部インドネシアとジャワ島とを結ぶ都市として今日においても重要な役割を担う。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…日本軍政から独立革命期の激動する社会に生きる庶民の暮しを好んで短編小説に描いた。とくに,独立革命の最大の戦いとなった1945年11月のスラバヤの戦闘を舞台にした代表作《スラバヤ》(1947)は,革命に酔う若者,戦火に逃げまどう婦女子,革命を食いものにする闇商人などの姿をシニカルな筆致で描き出し,インドネシア文学史上〈45年世代〉と呼ばれる戦争と革命の文学者群のなかでの彼の名声を不動にした。57年マレーシアに移住,65年以降はオーストラリアに住み,大学でインドネシア文学を講じた。…
※「スラバヤ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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