日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルテ・ポーベラ」の意味・わかりやすい解説
アルテ・ポーベラ
あるてぽーべら
arte povera
1960年代後半に、ローマ、ミラノ、トリノなどイタリアの都市部を中心に興隆した芸術運動。木材、鉄材、水、土、植物、ゴム、セメント、日用品、工業製品などの身近な物質・資材を用いて立体を制作することを特徴とする。「アルテ・ポーベラ」は直訳すれば「貧しい芸術」の意味だが、「ポーベラ」というイタリア語には「質素な、簡素な」という意味もあり、この用語にも当然そうした意味が込められている。代表的な作家としてはアリギエロ・ボエッティAlighiero Boetti(1940―1994)、ピーノ・パスカーリPino Pascali(1935―1968)、ヤニス・クネリスJannis Kounellis(1936―2017)、マリオ・メルツMario Merz(1925―2003)、ルチアーノ・ファブロLuciano Fabro(1936―2007)、ミケランジェロ・ピストレットMichelangelo Pistoletto(1933― )、ジルベルト・ゾリオGilberto Zorio(1944― )、ジョバンニ・アンセルモGiovanni Anselmo(1934― )などがあげられ、この運動にかかわった作家は「ポーベリスタ」と総称される。
「アルテ・ポーベラ」という名は1967年、ジェノバのベルテスカ画廊でボエッティ、パスカーリ、クネリス、ファブロ、メルツらのグループ展を主催した批評家ジェルマーノ・チェラントGermano Celant(1940―2020)が、彼らの作品の特徴を指摘するために用いたことに由来する。以後短期間のうちにその名は定着していく。1969年、チェラントは自らの考えを『アルテ・ポーベラ』Arte Povera; Groupe de Recherche d'Arts Visuelsと題した書物にまとめて、ミラノで刊行した。
第二次世界大戦後のイタリア美術においては、1950年代のスパツィアリスモ(空間主義。1950年代初頭にルーチョ・フォンタナが提唱。四次元的な表現を目ざす)や1980年代のトランスアバングァルディアと並ぶ重要な運動だが、「アルテ・ポーベラ」の場合は、工業化社会に対する反発、反芸術的気風の継承、自然回帰志向や反テクノロジー志向など、1960年代という時勢と深い結びつきがある。彼らは身近な素材を活用し日常的な経験を強調する一方、有用性や華美、過剰な表現を排除した。1968年フランスの五月革命に象徴される、当時のヨーロッパのユートピア的な社会主義思潮に共感を寄せる彼らの作品の傾向を「アルテ・ポーベラ」という名は正確に指摘していた。運動の及んだ範囲はほぼイタリア一国に限られていたが、1969年に開催された「丸い穴の四角い札」(アムステルダム市立美術館)と「態度が形式になるとき」(ベルン市立美術館)という展覧会を通じて、「アルテ・ポーベラ」の名は国外でも知られるようになる。フランスの「シュポール/シュルファス」や日本の「もの派」といった他国の動向と同様に、この運動はミニマリズムのなかに位置づけられた。運動そのものは短命に終わり、また主要作家の多くは1970年代以降はコンセプチュアル・アートへと移行していくのだが、この運動の重要性が損なわれることはなかった。
[暮沢剛巳]
『Germano CelantArte Povera (1969, Gabriele Mazzotta, Milano)』▽『「20世紀イタリア美術」(カタログ。2001・東京都現代美術館)』