フォンタナ(読み)ふぉんたな(英語表記)Domenico Fontana

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォンタナ」の意味・わかりやすい解説

フォンタナ(Nicolo Fontana)
ふぉんたな
Nicolo Fontana
(1499―1557)

イタリアの数学者。子供のとき、ブレシアへ侵入してきたフランス兵に父を殺され、自らも舌を切り取られた。そのためものをいうことが不自由であり、「タルターリア」Tartaglia(イタリア語で「どもり」の意)とあだ名された。独学で数学を身につけ、ベローナ、ブレシア、ベネチアの各大学で教授となっている。

 三次方程式x3+px=q(この時代には式はなくことばで示されていた)の解法を樹立。この解法を公表しないという条件で請われるままにカルダーノに教えたところ、カルダーノは約束を違えて、1545年に出版した著書『すばらしい技術、すなわちアルゲブラの規則について』のなかで公表してしまった。現代の数学で「カルダーノの公式」とよんでいるものは、フォンタナのものである。

[小堀 憲]


フォンタナ(Lucio Fontana)
ふぉんたな
Lucio Fontana
(1899―1968)

イタリアの画家、彫刻家。アルゼンチンのロザリオ・ディ・サンタ・フェで生まれ、1905年家族とともにミラノ移住、ブレラ美術学校で学ぶ。30年代にミラノの抽象美術のグループに参加し、量塊よりも空洞を主体とした彫刻によって新しい空間性の問題を提起する。この時期、陶芸の制作を始める。46年アルゼンチンにおいて「白の宣言」を発表、さらにミラノに戻って47年と48年、「空間の第一宣言」「第二宣言」に署名し、空間主義を標榜(ひょうぼう)する。52年ミラノのナビリオ画廊で発表された単色のカンバスに穴をあけた作品は、既成の空間概念を打破した点で画期的であり、58年以降、さらにカンバスにナイフ亀裂(きれつ)を入れる作品を制作する。晩年にはバーナーで画面を焦がしたり、多くの穴をあけた金属による彫刻などを発表した。ミラノで没。

[小川 煕]


フォンタナ(Carlo Fontana)
ふぉんたな
Carlo Fontana
(1634―1714)

イタリアのバロック建築家コモ湖に近いブルチャートに生まれる。1655年ごろローマに出てピエトロ・ダ・コルトーナやカルロ・ライナルディに師事し、さらに10年間ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの助手をつとめた。ベルニーニに協力してサンタ・マリア・ディ・ミラーコリ聖堂(1679)やパラッツォ・ディ・モンテチトリオ(1694以降)を完成した。彼独自の業績としてはサン・マルチェッロ聖堂のファサード(1683起工)、サンタ・マリア・デル・ポーポロ聖堂のチーボ礼拝堂(1685ころ)などがある。『バチカーノの聖堂』(1694)などの著作もある。ローマに没。

[濱谷勝也]


フォンタナ(Domenico Fontana)
ふぉんたな
Domenico Fontana
(1543―1607)

イタリアの建築家。ルガノ湖に近いメリデ出身であるが、1563年ごろからローマに定住して教皇シクストゥス5世の知遇を得た。教皇庁と深い関係のあるパラッツォ・デル・ラテラーノ(1586)が代表作であるが、ジャコモ・デッラ・ポルタによるサン・ピエトロ大聖堂の円蓋(えんがい)架構(1586~90)には技術家として協力、92年にはナポリに移住し、同地で没した。

[濱谷勝也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォンタナ」の意味・わかりやすい解説

フォンタナ
Fontana, Carlo

[生]1638. ブルチアーテ
[没]1714.2.5. ローマ
イタリア後期バロックのローマ派建築の指導者。 P.コルトナ,C.ライナルディにつき,おもにローマで仕事をした。 1660~70年代には特に G.ベルニーニの助手として活躍,ポポロ広場のサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ聖堂などを完成。 1667年,ローマのサン・ルカのアカデミア会員。 90年代にはサン・ピエトロ大聖堂の建築総監に任命され,ベルニーニ設計の広場拡張などを計画。かたわら J.フィッシャー・フォン・エルラハ,J.ヒルデブラント,J.ギブズらを育て,また『バチカンの聖堂』 Templum Vaticanum (1694) など多くの著述を通じて,イギリスやオーストリアのバロック建築に大きな影響を与えた。作品はイグナチウス・デ・ロヨラ大学 (81,ロヨラ) ,サン・マルチェロ・アル・コルソ聖堂のファサード (83頃) ,バレのサンタ・マリア聖堂,サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂のチボ礼拝堂 (83~87) など。

フォンタナ
Fontana, Lucio

[生]1899.2.19. サンタフェ
[没]1968.9.7. ミラノ
アルゼンチン出身のイタリアの彫刻家。イタリア人の両親のもとに生まれ,ミラノのブレラ美術学校で彫刻を学んで,1934年からパリの「アブストラクシオン・クレアシオン」グループに参加。 1939年アルゼンチンのブエノスアイレスで「白の宣言」を発表。 1946年ミラノへ帰り,空間主義を唱えて空間派を結成。曲線状のネオン管を天井につるすといった,光による環境的作品を発表し,画面を刃物で切り裂いたり,球体に裂け目をつくるなど,造形空間における正と負の関係を追究した抽象作品を制作。 1949年以降の作品のほとんどは『空間概念』 (大原美術館ほか) と名づけられた。イタリアの若い美術家に与えた影響が大きい。

フォンタナ
Fontana, Domenico

[生]1543. メリーデ
[没]1607. ナポリ
イタリアの建築家。教皇シクスツス5世の建築家として,現在のローマ市の基礎となるローマの都市計画を立て,ローマの有名な聖堂間を直結する道路,水道アクア・フェリーチェ (1587) ,噴水カトロ・フォンタナ,パラッツォ・ラテラーノ (86) ,バチカン宮殿の図書館 (87~90) などを建設したほか,ネロ帝の競技場跡からサン・ピエトロ広場にオベリスクの移建を行なった (86) 。また G.ポルタとともにサン・ピエトロ大聖堂のドームを完成 (88~90) 。 1592年教皇クレメンス8世にローマを追われナポリに移住し王室建築家として活躍,ナポリ王宮 (1600~02) などを手がけた。

フォンタナ
Fontana, Prospero

[生]1512. ボローニャ
[没]1597. ボローニャ
イタリアの画家。 I.イーモラに学んだのち,ジェノバ,フィレンツェ,ローマで P.バーガ,G.バザーリ,T.ツッカーリの助手をつとめ,マニエリスムの作風を踏襲。 1540年以降ボローニャに定住,60年頃フォンテンブローで F.プリマティッチオのもとで働いた。作品『聖アレスシオ』 (1576,ボローニャ,サン・ジャコモ・マジョーレ) 。また娘のラビーニア (52~1614) は肖像画家として有名で,教皇グレゴリウス8世の宮廷画家。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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