アメリカの写真家。1960年代、無名の人々を路上で撮影するなど、ドキュメンタリー技法で現代人の精神の内奥をえぐる写真作品を制作、発表し、現代写真に新たな境地を開いた。ニューヨークの裕福な商家に生まれ、カメラマンと結婚したのを機に写真を始め、離婚後女性ドキュメンタリー写真家のリゼット・モデルLisette Model(1901―1983)に師事、本格的に写真家として歩み始める。アーバスは、市街地の路上や、近郊住宅地にさまざまな人物像を求め、写真で人間の心に潜む邪悪さを摘出しようとした。異常な生、異形(いぎょう)の生を凝視するその作品は写真界に衝撃を与えた。1967年にニューヨーク近代美術館が開催した「ニュードキュメンツ」展で、フリードランダーLee Friedlander(1934― )、ウィノグランドGarry Winogrand(1928―1984)とともに、芸術としてのドキュメンタリー写真のあり方を社会に示し、幅広い人気を獲得する。しかし1960年代後半からしだいに情緒の安定を失い、1971年に突然短銃自殺を遂げた。1972年同美術館で大回顧展が開催された。
[平木 収]
『パトリシア・ボズワース著、名谷一郎訳『炎のごとく――写真家ダイアン・アーバス』(1990・文芸春秋)』
アメリカの女性写真家。ニューヨークの富裕なユダヤ人の家庭に生まれ,14歳のとき4年後に結婚する夫アラン・アーバスと出会う,という半生が示すように〈自分が不幸だと思ったことのない〉ことが悩みだった。夫とともにファッション写真家となり《ボーグ》《ハーパースバザー》などで活躍したが,1959年,ベレニス・アボットの友人でもあった女性写真家リセット・モデルに師事し,以後シリアスな写真を追求しはじめる。67年ニューヨーク近代美術館のグループ展〈ニュー・ドキュメンツ〉に出品した写真で注目された。他人の〈欠点〉に引きつけられた写真家で,奇形の人,ヌーディスト,ホモ,女装する人,精薄者など〈生まれながらに傷つき,修練を超えた精神的貴族〉や〈自分の神話=なぞを持った異様な表現をする人たち〉を多く被写体とした。こうした社会から置去りにされた人たちを写し撮ることで,彼女は,対象との距離=へだたりを埋めようとしたのではなく,そのへだたりの中にある空白を厳然と確認していった。その距離の認識が,彼女の写真をスキャンダル性から救いあげ,写真を物語の再生の端緒へと導いていく。71年7月ニューヨークのアパートの自室で自殺した。翌72年ニューヨーク近代美術館で開かれた〈ダイアン・アーバス展〉は2ヵ月で20万人の入場者を集め,ピカソ展に匹敵したという。写真家として初めて自殺した人ということで,まさしく神話的伝説化が死後進行した。
執筆者:西井 一夫
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