改訂新版 世界大百科事典 「ドキュメンタリー写真」の意味・わかりやすい解説
ドキュメンタリー写真 (ドキュメンタリーしゃしん)
写真術はそれ自体の機能として,まず第一義的に記録の技術である。絵画と写真が異なる点は,レンズによる一定の法則に従った(線)遠近法の描写,形態と材質感の克明で微細な描写,相対的ではあるが光の明暗を現実のままに再現する階調の描写などが,同じ被写体なら誰が撮影しても,また時間の経過にともなう変化がないとすれば繰り返し何度撮影しても,同一の結果が得られることである。もし予断や解釈を排除した,機械的・客観的な記録が理想であるとすれば,写真はまさに記録術の申し子だといえる。したがっていわゆる〈ドキュメンタリー〉が,記録や証拠を提示することを要件としているのならば,視覚メディアとしては,写真は映画やテレビジョンとともに,その最も有効な手段の一つといえる。写真は,しかし映画やテレビジョンのように流れる時間性を持たない点で異なっており,対象の時間的な切断面をそのまま静止の状態で示すことに写真独自の記録性の特徴があるといえる。
古くから写真は,一方で芸術表現の手段として利用されていたが,他方では記録的特性を早くから見抜いて,これを活用した例も多い。1842年には銀板写真によってハンブルクの大火が撮影され,55年にはコロジオン湿板法によってクリミア戦争が入念に撮影されている。こうして写真がジャーナリズムに取り上げられるようになるのは当然のなりゆきで,19世紀の終りごろから20世紀にかけて急速にニュース写真やフォト・ルポルタージュの分野が専門化し,今日われわれが考えるようなドキュメンタリー写真の素地となった。ドキュメンタリーの概念を明確に意識して撮影がされはじめたのは,おそらく1930年前後のグラフ・ジャーナリズムの隆盛期といってよかろう。写真を主体とした新聞,雑誌が多数出版されるにしたがって,写真によるメッセージの特質が問われはじめた。この時期は映画や文学のドキュメンタリーが盛んに行われた時期とも一致しており,その影響も大きかったが,他にも新即物主義の影響を受けた写真の傾向が,いっそうリアルな現実描写の意義を認識させる力となっていた。また同じ時期にアメリカでは,大恐慌後のニューディール政策と結びついて,FSA(農業安定局)による農民の悲惨を伝えるための組織的な写真記録(R.E. ストライカーによって指導され,D.ラング,W.エバンズなどが活動した)が行われたが,それは写真によるドキュメンタリーの効力を如実に示す実践であった。
しだいにグラフ・ジャーナリズムの主流となったフォト・ルポルタージュは,演出による物語よりも,事実の記録,すなわちドキュメンタリーの精神で行われるのが常識となった。たしかにドキュメンタリーの精神は科学の方法に似て,いわば現実をデータとして提示する考え方が根本にあり,写真自体に語らせる方法ともいえる。現実を写した写真は第一義的には何事も規定的に語ることはしない。しかし写真は現実の様相を示すことで見る者のイマジネーションを喚起させる。さらに写真の選択や編集,あるいは言葉によるコメントを付け加えることにより,そのイマジネーションに方向性を与えることはできる。それが写真によるドキュメンタリーの方法である。だから,いくら事実の記録とはいっても,写真の意味合いは操作できるわけであり,実際にはドキュメンタリー写真とは,そのような扱い方をも含めて評価され,またときにはその扱い方にこそ一種の見識が問われることにもなるのである。
→写真[人間と写真の歴史]
執筆者:大辻清司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報